「難易度が高い」は無意味な表現
インターネット上の情報が必ずしも正しいとは限らないのと比べるとまだマシだが,辞書に載っているから正しいとも限らない.
今回は,冷静に考えてみると無意味なことばについて述べたい.
実のところ,ことばの「正しさ」「無意味さ」の定義は容易ではない.
なぜなら,元来の意味とは異なっていても,そしてある時代には間違いであったとしても,コミュニケーションの道具としては「通じることばが正しい」という面を持っているからである.
例えば,「新しい」は元々は「新たし(あらたし)」だったのが誤用されて変化したのだが,いまどき「新たしい携帯を買う」などと言っても通じない.
もはや修正不能な極端すぎる例を挙げたが,誤用の中にはまだ修正の余地が残っているものもある.
以前のノオトで取り上げた「加速度的に」も一例だが,ここでは「難易度」について述べたい.
耳慣れているから,聞いたときにすんなりと理解できてしまうだろうが,冷静に考えると「難易度が高い」「難易度が低い」はおかしなことばである.
正しくは「難度が高い」「難度が低い」であろう.
自然に解釈すれば,「難易度」は「難度および易度」である.(【注意】「易度」ということばは辞書には載っていない).
だから,「難易度が高い」は「難度および易度が高い」となり,難しいのか易しいのか分からない!
難易度は高くも低くもなれないのだ.
分かりにくいと感じる人も多いと思うので,別のことばに置き換えてみよう.
「高度1万メートル」などで使われる「高度」について考えよう.
高度は高さの度合いである.
字面だけから考えれば,高度の対義語は「低度」であるから,「高度および低度」を「高低度」と表わすことも可能だろう(【注意】「低度」は辞書に載っているが意味が異なる.ここで考えている「低度」は辞書に載っていない).
「難易度が高い」に対応する「高低度が高い」は意味をなすだろうか?
これが意味をなさないことは理解しやすいだろう.
つまり,「難易度が高い」は「高低度が高い」というのと同じように無意味なのだ.
高低を用いて意味のある表現は,「高低度」ではなく「高低差」である.
(一般には用いられないが)難易を用いて意味のあるのは「難易度」ではなく「難易差」だろう.
《変更履歴》
2013-12-28:タイトル変更.旧「難易度が高いとは?」→新「『難易度が高い』は無意味な表現」
| 固定リンク
「おかしな表現」カテゴリの記事
- 文鳥はリテラチャーバード?(2020.10.06)
- 用語「ソーシャルディスタンス」の不可解(2020.06.13)
- 「和製英語」はおかしな表現である(2019.07.25)
- 聴き逃すことのできるサービス?(2018.12.20)
- 外国人や人工知能には理解が難しそうな日本語表現(JRの例)(2018.11.28)