やさしさ

2019年7月15日 (月)

エスカレーターの乗り方:「片側立ち」対「両側立ち」

【関連する話題】
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ノオト:自動車運転中に、信号機のない横断歩道の手前で停止するのはマナーではなく、ルール」で紹介したルールを、は、極力、守るようにしている。

それがルール(法律)だからというだけでなく、マナーとしてもいいことだと考えているからである。歩行者優先の態度として実行すべきだと思っているからである。
(僕が徹底的な歩行者優先に触れた例としては、「ノオト:日本とバンクーバー(カナダ)の対比」を参照してください。)

これは僕の個人的な取り組みではあるが、他の車との関係抜きには実施できない。

横断歩道手前で一時停止したらクラクションを鳴らされる、というのはまだいいとして、もしもその状況で僕の後ろの車がイライラして、停止している僕を追い抜いていったりしたら、事故に結びつきかねない。

だから、主義を貫くのも時と場合を考えなければならないことを大いに踏まえつつ、横断歩道手前の一時停止を実行している。
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【本題】
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Escalator2lines横断歩道手前の一時停止よりもはるかに困難な行動は、エスカレーターの2列乗りである。
(現在、エスカレーターの乗り方の基本は、歩かない人が片側に立ち、もう一方は、歩いて昇りたい人のために空けておくという乗り方である。)

僕も長年、エスカレーターは2列乗りの方がいいと信じていることに加え、鉄道会社などから出されているメッセージが僕の行動を後押ししてくれるはずなのに、歩きたい人のために空けられている側に立ち止まって乗ることは、横断歩道手前の一時停止の50倍は難しい。

写真[クリックで拡大]のように、鉄道会社を挙げたメッセージが出されているにもかかわらず、人々から受ける暗黙のプレッシャーは強大だからである。

ここで、もしもエスカレーターの2列乗りが普及したとして、僕の考える最適な乗り方を述べておきたい。

それは、「輸送量」と「パーソナルスペース」と「安全」を考え合わせた、「1段にひとりずつ、左右交互に立つ」である。
前後には1段の空きがあるが、左右には誰もいない、ジグザグな乗り方である。
ここでは「安全」についてのみコメントしておく。
もしも前後を空けずに乗ると、降り口で誰かが何らかの理由で歩行が滞った場合に、後ろの人たちが詰まってしまい、将棋倒しになるなどして危険だからである。
前後に1段の空きがあれば、そのような事態でも事故を回避できる可能性が高まる。

〈参考〉僕の考えとは異なる部分もありますが、次の記事を紹介しておきます。
 日経電子版・NIKKEI STYLE「エスカレーター、なぜ両側立ちは普及しないのか?
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2019年6月30日 (日)

自動車運転中に、信号機のない横断歩道の手前で停止するのはマナーではなく、ルール

既にの記憶が失われているから明確なことは言えないが、恐らく、運転免許を取ってから数年間は正しく理解していたのだと思う。

それは、信号機のない横断歩道を渡ろうとしている人がいる場合に、手前で一時停止しなければならないのは、ルール(法律で定められていること)だということである。

しかし、その記憶が失われてから数年前までの間、それがルールではなくマナーであると誤解していた。

実際、JAF(一般社団法人日本自動車連盟)による、2018年の全国調査によれば、信号機のない横断歩道で、渡ろうとしている人がいる場合の一時停止率は8.6%であったとのことである[詳しい説明や調査結果の詳細はこちら]。

その調査では、都道府県別の一時停止率も公表されている
最高が長野県の58.6%、最低が栃木県の0.9%である。僕が住んでいる茨城県は、魅力度ランキングでは最下位(47位)を走り続けているが、一時停止率では全国平均を上回る9.2%で、17位である。

ルールであるにもかかわらず一時停止しない自動車が多いのは、「配慮」や「行動を抑制してしまう心理」が働いていると考えられるが、この辺りについては、ここでは触れないことにする。

その代わりに、このルールを規定している法律(道路交通法 第三十八条)と、それよりも認知度の低いと思われる「道路交通法第 三十八条の二」について述べたいと思う。

まず、「道路交通法 第三十八条」には一時停止すべきことのみならず複数の観点から通行方法が記述されているが、押さえておくべきこととして、「歩行者または自転車」が対象となることを確認しておきたい。
そして、認知度の低いと思われることとして、「道路交通法第 三十八条の二」では、横断歩道が設けられていなくても、「車両等は、交差点又はその直近で横断歩道の設けられていない場所において歩行者が道路を横断しているときは、その歩行者の通行を妨げてはならない。」ということである。

「道路交通法 第三十八条」について詳しくは、こちらを参照

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2017年4月 2日 (日)

腰パンの半分は、やさしさでできている

このノオトを書くきっかけとなったのメモの日付を見ると、ほぼ5年前だから、腰パンの寿命の長さには驚かされる。

ここでいう腰パンとは、おもに男子が、わざとズボンをずり下げてパンツが見えるようにしつつ、股下を短く見せるファッションのことである。
(この文の一部は僕たちオジサン世代向けである。その箇所を現代風に書けば「わざとパンツをずり下げてアンダーウェアーが見えるようにしつつ」となるだろうか。さらに付け加えれば、腰パンの流行当初はまさに「わざと」だったが、今では元々ズボンがずり下がっていてパンツが見えているようにデザインされたズボンが流通しているようだ。)

さて、書籍『ほんとはこわい「やさしさ社会」』(通販サイトAmazonへのリンクはこちら)では、「やさしいきびしさ」「きびしいやさしさ」など、一見した優しさや厳しさと、それが本当に意味することについて考察されていて興味深い。

その本から得た発想で腰パンを解釈すると、腰パンの半分は、やさしさでできているように思う。

すなわち、友だちよりも自分の方が脚が長いと悪いという思いから、脚を短く見せるやさしさなのだろう。

僕は、腰パンはファッションとしては拒否してしまうが、脚の短い僕に対するやさしさと捉えれば、腰パンを見る目も少しはやさしくなれるような気がする・・・・とはいえ、論理(例:〜と捉えること)はなかなか感情(例:拒否)に勝てないから、このやさしさを素直に受け入れるのは難しい。

[補足]このノオトでは、過去にも2度ほど腰パンが登場している。「ノオト:かっこ悪くないのが不思議」「ノオト:若者ファッション考

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2015年12月14日 (月)

電話の出かた

受話器を取ってすぐに話し始める人がいる.概して,仕事をてきぱきとこなす人に多いように思う.

ただし,仕事をてきぱきとこなすことと,仕事ができることは違う.

本当に仕事ができる人なら,電話回線はすぐには繋がらないことがままあり,話し始めのことばが相手に伝わらないことを認識しているはずだからだ.

(トゥルルー…トゥルル−…カチャ)
相手 「※§♂$です」
僕 「○○○○ですか?」
相手 「はい,そうですが…」
・・・というやり取りを,年に数回は,している.

話し始める前に「はい,…」「もしもし,…」「お電話ありがとうございます,…」など,何でもいいから,“間”を置いてから話し始めるべきなのである.

往年のベストセラー「気くばりのすすめ」(鈴木健二著)にも,同様のことが書かれている.

サッと電話に出て,パッと話し始めることが効率的だと考えているうちは,まだ本当の効率が分かっていない.

さて,最後に,電話の出かたについて,もうひとつコメントしておきたい.

それは,呼び出し音が鳴り,すぐに取れる状況であっても,2回待ってから受けるべきだということである.

電話をかける側であるとはいえ,話し始めのことばを完全にまとめてからかけることは少ない.話したい内容をまとめつつ,コール音を聞きながら話し始めのことばを選ぶ時間,気持ちを準備する時間,が必要である.

呼び出し音が1回も終わらないうちに相手が出てしまうと,一瞬戸惑ってしまい,まとまりのない話し出しになってしまうからだ.

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2013年11月 3日 (日)

タッチスクリーンのやさしさ

スマートフォンやタブレットのタッチスクリーンの利点は,指による直感的な操作が可能なところにある.
動かしたり拡大縮小したりが,マウスを使うパソコンよりも劇的に直感的だ.

また,文字入力が押しボタンではなくなり,軽いタッチで済むようになったから,一時は社会問題となっていた親指の腱鞘炎患者は確実に減っただろう.
電車内や集会場でのパソコンキーボード操作による迷惑音も減少しただろう.

このように,タッチスクリーンは人にやさしく,いいことずくめのようだ.

しかし,もちろん難点はある.
最大の難点は触感の不在である.

ちゃんと押したかどうかを,スクリーンを見なければ判断できない.

もちろん,音や振動で触感の代用とする試みはある.
しかし決定打はないから,キー触感のあるスマホが話題になる.
(タッチスクリーンのことではないが,操作と触感の関係については「ノオト:iPhoneのユーザビリティー」を参照.)

結局のところ,キーとディスプレイの形態(パソコンやフィーチャーフォン)からタッチスクリーン(タブレットやスマートフォン)に変わることで,人にやさしくなったのか.

事情は複雑だが,あえてざっくりと言えば,受動の立場では,格段に人にやさしくなったが,能動の立場では,あまりやさしくなっていないのではなかろうか.
それは,特に文字を入力しようとする際に,触感がないことが視覚的あるいは認知的な負荷を増大させ,そして,指をそっと添えておく(乗せておく)ことができないことが,指・手・腕の緊張をもたらし,運動制御的負荷を増大させているからである.

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2013年7月 8日 (月)

拡大と縮小

画面がタッチパネルであり,2本の指を広げたり狭めたりすることで画面の拡大縮小が行なえることがスマートフォンの代名詞となった現在,もしも現代版「アクションQ」(*)があるなら,スマートフォンや携帯電話を表わすジェスチャーは簡単だろうなぁと思う今日この頃である.

(*) は今の今まで,番組名が「アクションQ」なのだと思っていたのだが,念のためインターネット検索で調べてみたら「シャープ スターアクション」というのが番組名のようだ.詳しくはウィキペディアを参照.なお,ユーチューブに映像があったが,番組冒頭のみであり,僕が伝えたいイメージを感じてもらうのは難しい.この番組は,ひとことで言えば,ジェスチャーゲーム番組である.
さて,昨今はジェスチャーといえば,パソコンやスマートフォンを操作する指の動きを指す.

今回は,スマートフォンおよびタブレットにおけるジェスチャーの話である.

タッチスクリーンが普及したことによる,携帯電話にまつわる変化(僕の観察結果)といえば,旧来の携帯電話ではおじさん/おばさんが主に利用していた,左手保持右手タッチ法が拡大したことが挙げられる.

このような状況だから,旧来の携帯電話と同様に片手で入力するユーザーは,少数派ではないにしろ,メジャーではなくなっているようだから,以下に述べる問題を問題だと思っている人は少ないかもしれないが,片手で操作できてこそ携帯電話だという観念を強く抱いている僕は,2本の指を広げたり狭めたりすることで画面の拡大縮小を行なう操作(ピンチ操作;pinch)を問題視していた.

Apple iPhone や iPad の iOS 6 の場合で言えば,片手での操作(つまり2本ではなく1本指での操作)についても少しだけ配慮されているが,不十分である.

Webブラウザー(Safari)では,1本指のダブルタップでページが拡大する(ダブルタップした領域が画面の横幅一杯に拡大される;ここでいう領域とは,表のひと枠である)が,片手ではそれをもとの表示に戻す術がない.

写真アプリでは,1本指のダブルタップで拡大し,もう一度ダブルタップするともとの縮尺に戻る機能があるが,望みの拡大率にする術はない.

マップアプリでは,1本指のダブルタップで拡大し,2本指の(シングル)タップで縮小する機能があるが,片手では2本指を使うことができない.だから,片手操作では,拡大する一方である.

ユーザー・インターフェイス(ヒューマン・インターフェイス)を研究の一部としている僕だから,これを解決する手法を,未完成ではあるが考えてはいた.考えはじめて3〜4年になるだろうか….しかし,僕が一瞬にして白旗を揚げるすばらしい方法で僕の希望を実現しているアプリがあった.

Google Mapsアプリを操作しているとき,「おやっ!?」と思った.なぜか片手で拡大縮小ができた瞬間があった.

なぜそうなったのか分からないままに試行錯誤したところ,片手(1本指)での拡大縮小操作ができるような設計になっていることが分かった.

ダブルタップし,そのまま指を離さずに上下にスライドさせると,拡大縮小する.

他のアプリでもこの方式が使えれば,片手ユーザーにとって大変ありがたい.

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2010年1月31日 (日)

不親切という優しさ

書籍『ほんとはこわい「やさしさ社会」』では,「やさしいきびしさ」「きびしいやさしさ」など,一見した優しさや厳しさと,それが本当に意味することについて考察されている(引用情報欄にAmazonへのリンクあり).

は,自分の勤務する大学にWeb版の授業情報提供システムが導入される前から,自前で授業情報のWeb提供を行なってきたのだが,今年,その提供のしかたを大きく変更した.

それは,僕の考える本当の優しさを実現するための変更である.

これまで10年以上にわたり,毎回の授業の実施内容や配付資料をWeb掲載してきた.

講義ノートをすべて掲載するという考え方もあるが,僕の場合には授業1回分がパソコンの1画面か半分程度である.それは,授業に出られなかった(出なかった)学生へのサービスと,授業に出た学生の利益のバランスを意識してのことである.

昨年までは,授業が終了するまですべての記録を残してきた.いつでもどこでも情報にアクセスできるように.

この一見優しそうに思えるサービスに潜む,実は優しくない側面に気づき,今年からは,1か月以上前の情報は順次削除することにした.

ひとことで言えば,不親切という優しさを実現したかった.
(Webによる授業情報提供を実施していない教師の方が多いから,根本には親切があり,その親切の中での不親切に過ぎない.)

いつでもアクセスできることによる気のゆるみや甘え,そしてそれがもたらす意識の低下を阻止したかった.

また,ノートの貸し借りなどを通した学生間コミュニケーションを促し,(もっとあった方がいいと個人的に思っている)連帯感を育みたかった.

サービスし過ぎないこと,これがサービスを受ける側の満足につながると考えている.

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