思い込み

2017年9月 9日 (土)

しばん志 → ジバンシー?

古い写真の中に「しばん志」を目にしたとき、すぐさま「ジバンシー」(GIVENCHY)と読んでしまった。
(最初の字は「じ」ではなく「し」だから、そもそも読み間違いである。)

その写真に写っていたのは、往年の新橋駅だった。

昔は駅名表示も右から左に書いたから、「しばん志」を右から読めば「しんばし」である。

P.S. 新橋の「新」を「志ん」と書く例として、志ん橋大提灯を挙げておく。

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2016年9月23日 (金)

誤解して敬遠していた

Meaningoflは,30代後半あたりから小食になった.

だから,「バイキング」「食べ放題」「大盛り」「Lサイズ」などの表現があると,まず避けてしまう.

ここ半年くらいだろうか,あるコンビニの弁当売り場で,品としては僕の好みだから食べたいと思ったのだが,Lサイズだからと敬遠していたスパゲッティーがある.

週に一度は目に入り,これがLサイズではなくて普通サイズだったらいいのに…,と要望を投稿しようと思うことも多々あった.

最近,ふとみると,近くに同じ見ばえで「大盛り」の名が付いている,サイズの大きなスパゲッティーがあることに気づいた.

そこでやっと僕は気づいた.
「Lやみつきナポリタン」のLが,largeのLではないことに.
それで,半年越しに,イメージ通りの味のナポリタンを食べることができた.

Lは,それが売られているコンビニ名の頭文字なのかもしれない.

商品のネーミングに対する不満を感じたものの,今になって思えば,それがLサイズならば「やみつきナポリタンL」と書くのが自然だから,「Lやみつきナポリタン」となっていた時点で,自分の解釈を疑うべきだったのだと反省している.

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2015年12月20日 (日)

解決すればいい vs. 原因を探りたい

も科学者のはしくれだから,無意識に,結果オーライを避ける思考回路が働いてしまうことが多い.

思考回路が働いて“しまう”というのは,後になってみれば,その回路が働きさえしなければ,より少ない手間と時間で解決できていた“のに”という僕の意識の表われである.

アラハーとなり,それなりの量の経験をしてきた過去を振り返ると,出来事はまんべんなく訪れるよりも,突然に集中的に訪れる方が多い・・・ように思う.

ごく最近の例でいえば,僕のパソコンアプリケーションのトラブルと,職場のコピー機(複合機)のトラブルの両方が同じ日に発生し,どちらも,結局のところ再起動という,まったくといっていいくらい手間と時間のかからない方法によって解決した.

パソコンの方は,わざとユーザーがアクセスしにくいようになっており,特別な操作をしない限り見えないファイルを無効化してみたり,元に戻したり,それでも解決しないのでインターネットで同様の現象で困ったことのある人からのヒントを得ようと検索し,近い症状の事例の解決方法を真似してみたり,挙げ句の果てには,そのアプリケーションの中核をなす30ギガバイトのファイルをバックアップから復元し,トラブルが発生していなかったときの状態に戻したり,・・・.それでもトラブルは解消しなかった.

結局,パソコンそのものを再起動したら,そのアプリケーションは何ごともなかったかのようにフツーに使えるようになった.

コピー機の方はUSBメモリーへの文書保存に際してUSBメモリーが認識されないトラブルだったのだが,一般ユーザーとしてあれこれ試したり,管理ユーザーとしてあちこちの設定を変更したり戻したり,そうこうするうちに,保存用ばかりか読み出し用の機能でもUSBメモリーが認識されておらず,サポートに連絡すべき故障なのかもしれないと思うに至り,ダメ元でコピー機の電源をOFFにし,改めてONにしてみたところ,パソコンと同様にこちらの方も,何ごともなかったかのようにフツーにUSBが認識されるようになった.

僕が,再起動させるという行動をすぐに起こせなかったことは,悪く言えば,機転が利かなかったということだが,良く言えば,手段はどうあれ解決すればいいという発想を無意識に抑制し,原因を特定したいという探究心が勝っていたということである.

かくいう僕も,もちろん,世の中のあらゆることの原因を特定したいと思うわけではない.解決すればいい,結果を知ることができればいいと思うことの方が圧倒的に多い.

自分が興味のあること,あるいは,それほど興味があるとは言えなくても,それくらい解決できる自分でありたいと思うことについては,当面の問題だけでなく将来発生するであろう同様の問題に対処するための知識を得たいという気持ちになるため,結果よりも過程を重要視するモードになるのだろう.

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2015年12月18日 (金)

フィリングイン,その後

ノオト:フィリングイン(filling-in)」では,実は人がまったくいないわけではないのだが,人気(ひとけ)のない寂しげなキャンパスに見える写真をデモンストレーションした.

その後,そのデモンストレーションをバージョンアップしたページを作った.

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2015年7月 4日 (土)

フィリングイン (filling-in)

日経サイエンス2015年7月号の記事「illusions 知覚は幻 〜ブランクを埋める幻」には,人間がブランクを埋める能力が紹介されている.

ブランクを埋める能力はフィリングイン (filling-in) と呼ばれ,人間の知覚や認識や記憶のあらゆる部分に根深く関わっている.

フィリングインは人間にとって欠かせない補完能力であるが,その能力を逆手に取った人工的な作品を示されると,たやすくだまされてしまう.
(動物としての人間は,その歴史上,そのような人工的な作品と同じような状況に直面することは,まずなかっただろうから,問題とはならなかったはずである.研究者は,人間の“強み”の裏返しであるところの“弱み”の分析を利用して,人間の本質を明らかにしようとするものなのである.)

さて,その記事中には,フィリングインが実感できる,インパクトのある画像が掲載されている.とてもよくできた作品なのだが,その作品を素材にしてフィリングインとは何ぞやを語るには,シチュエーションが制限される.
そこでは,インパクトでは負けるが,シチュエーションを選ばずに使える画像を,その記事の画像を真似て作ってみた.

↓これ(クリックで拡大)は,人のいない寂しげなキャンパスに見えると思う.
Withmask_s

しかし,グレーの目隠しをはずせば,結構な人がいる.
[目隠しのない場合と目隠しのある場合を並べたは画像はこちら]

〈改訂:2015-07-05〉目隠しのない画像と目隠しのある画像を1枚の画像として合体させ,比較しやすいようにした.

〈追記:2015-12-18〉「ノオト:フィリングイン,その後」も参照.

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2015年2月14日 (土)

オバタリアン

昔,オバタリアンということばが流行った.
(手元の国語辞典を引いてみたら,予想外だったが,載っていた.それによれば,1989年に流行したことばとのこと.)

自己中心的で騒がしい中年女性の群れを揶揄して,そう言った.

しかし,も多少の人生経験を積み重ねつつアラハーとなった今,自己中心的で騒がしいのは中年女性に限ったことではなく,あらゆる年齢層と性別,つまり老若男女にあてはまると感じる.

電車の中の高校生(男女問わず),サラリーマン,ランチタイムの女子,ハイキング帰りと思しき高齢者,これらあらゆる場合に,集団となるとオバタリアン的になる例を幾度も目撃してきた.

仲間が集まれば,周囲に目が行かなくなるほど楽しくなるものである.

かしましいは女性が三人集まった字で「姦しい」と書くから,古来から女性にそのような傾向が強いのかもしれないが,男子が女子化しているといわれている昨今だから,男子にも,そして幅広い年齢層に,かしましさが浸透しているということかもしれない.

実際,変わりやすいもののたとえとして現在では,「女心と秋の空」と言うことが多いが,手元の辞書によれば,元来は「男心と秋の空」と言ったそうだから,ことばがひとり歩きして,人々の思考に影響しているだけという可能性もある.

結局,人間は自己中心的なものなのだろう.

自分が静かにしているときには他人の騒がしさを嫌がり,自分が楽しく賑やかなときには周囲への配慮ができない.

ところで,最近読んだ本「つくられる偽りの記憶---あなたの思い出は本物か?」(通販サイトAmazonへのリンクはこちら)は,自分の確信が如何に不確かなものであるかが分かる興味深い内容である.その最終章「本当に昔はよかったのか?」で,大倉幸宏著『「昔はよかった」というけれど』からの引用として,1935年の新聞記事が紹介されている.記事には,電車の中で化粧をする女性に感心しないと書かれているそうだ.

人のふり見て我がふり直せ,これは,物理的な歳を重ね,オトナになったつもりの自分に,僕が度々言い聞かせていることばのひとつである.

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2015年1月21日 (水)

意識の食い違い

は嫌煙家とまでは行かないが,タバコの煙が好きではない.

近年は禁煙が浸透して過ごしやすくなったが,人間はわがままなもので,クリーンな空気に慣れっこになると,ちょっとした煙も気になったりする.

※この辺りを含めた,タバコに対する僕の見解は次のノオトを参照して下さい.
「ノオト:不条理なけむり」「ノオト:首都圏の駅の全面禁煙がもたらしたサービスの低下」「ノオト:節煙

さて,喫煙を巡るこのようなご時世を反映してか,とあるカフェでの店員と僕の意識の食い違いが興味深かったので書いておく.

実際のやり取り:
(僕) 店内は全部禁煙ですか?
(店員) はい,おタバコはお外のみとなります.

僕が期待したやりとり:
(僕) 店内は全部禁煙ですか?
(店員) はい,すべて禁煙です.どうぞ,おくつろぎ下さい.
(僕) 分かりました,ありがとう.

店員の頭の中:
(客) 店内は全部禁煙ですか? 喫煙席はないのでしょうか?
(店員) 申し訳ありません,店内はすべて喫煙席でして,おタバコが吸えるのはお外のみとなっております.

店員は,タバコが吸いたい客(=僕)が,屋内で喫煙したいが大丈夫か確認していると思い込んでいたのだと思われる.

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2014年11月 5日 (水)

香ばしいとは?

ノオト:音と文字・・・思い込み」では,聞き間違いを中心に思い込みについて述べた.

ここでは,聞き間違いではなく,意味の思い違いについて述べよう.

「香ばしい」・・・みなさんは,このことばをどのように使い,どのように解釈しているだろうか.

は,大人になって長い年月が経つまで,意味を取り違えていた.

意味の取り違えに気づくまで,僕の認識はひらがなの「こうばしい」であって,漢字の「香ばしい」ではなかった.

「こうばしい」は,「カリッとした食感の」という意味だと思い込んでいた.

言い訳になるが,こんがり焼けた“香ばしい”においの食べ物は,大概,“カリッとした食感”があるから,経験の範囲ではそれで通用していたということだ.

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2014年11月 1日 (土)

「音と文字・・・思い込み」に追記

「ノオト:音と文字・・・思い込み」の最後部に追記しました.

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2014年10月25日 (土)

音と文字・・・思い込み

が小学校低学年の頃だったろう,テレビ番組「セサミストリート」のテーマソングを,まったく意味も分からずに友だちと一緒に歌っていた記憶がある.

「ハッチュゲッチュッ,セッサミッチー♪」

意味は分からなかったが,今になって考えると,恐らく,英語を理解できる日本語ネイティブのオトナが「ハウ トゥー ゲッ トゥー セサミ ストリート」と言うよりも,英語ネイティブには通じたのではないだろうか.
(観点は変わるが,僕の子どもの頃の英語の認識については「ノオト:僕が子どもだった頃の英語の認識」を参照.)

ことばは,まず耳から入り,学ぶ意識なしに学び,練習する意識しに発話の練習をする.要するに,ことば体験は音から始まる.音のことばと文字のことばの対応を学ぶのは,それから数年後のことである.

学習初期のこのような過程が影響してか,音と既知の文字を自分勝手に結びつけて覚えていること,つまり誤解していることが,誰でも少なからずあるのではないだろうか.

僕の経験でいえば,「完璧」の「璧」を「壁」と誤解していた,「熱燗」の「燗」の字の門の中が「日」であると誤解していた,テニスのサーブで,ネットに触れてから相手コートに入るときのコールを「ネット」だと思い込んでいた,10個(じっこ)を「じゅっこ」と聞き,言っていたこと,などがすぐに思い浮かぶ.
(もっとも,最後に挙げた「10個」については,アナウンサーなどを除けば,日常的には「じゅっこ」がデファクト・スタンダードであろう.)

ごく最近の例を挙げれば・・・

NHKラジオ第2にチャンネルを合わせたらたまたま流れている番組でのことである.そのたまたまが,現在のところ4〜5回あるのだが,その番組で,「トニー柿谷」「柿谷しょうざぶろう」という名前が幾度も流れてきた.毎回,村上春樹の小説が朗読され,その英訳版を通して英語を学ぶ番組のようなのだ.

今日もまた偶然にその番組を聞いたのだが,今日は,はじめて,「柿谷」ではなく「たきたに」と聞こえてきた.これまで,そのラジオ番組で数十回は聞いたであろう「○きたに」は,「滝谷」であったのだ.登場人物は,正しくは「トニー滝谷」「滝谷省三郎」であったのだ.

これが単に,僕の早とちりのひとつならいいのだが,自分の年齢を考えると,加齢に伴う,子音の聞き取り能力の減退のためであるとなると,少々ショックである.もっとも,この歳になるとこの手のショックには慣れっこになっているから,認めざるを得ないとなればすぐに気持ちを切り替えることができる…と思っている.

気持ちの切り替えと述べた割には往生際が悪い言い訳と響くかもしれないが・・・

人間は元来,文脈や状況によって音を聞き間違えるものである.有名な例はマガーク効果である(参考:Wikipedia「マガーク効果」).これは,「が が が が が」と発声している映像(音声なし)に,「ば ば ば ば ば」の音を重ねて見ると,「だ だ だ だ だ」と聞こえる現象である(正確にいえば,「見る」は「見聞きする」である…念のため.).
(この効果を利用すれば,目を閉じて聞けば「オバQ」と聞こえるが,目を開いて見ると「小田急」と聞こえる映像を作ることもできる.)

《追記:2014-11-01》マガーク効果には,〈映像:が〉+〈音声:ば〉→〈聞こえ:だ〉だけでなく,〈映像:か〉+〈音声:ぱ〉→〈聞こえ:た〉もある.「柿谷/滝谷」の混乱は〈か〉と〈た〉で起こったから,この後の方の例と関係が深い.マガーク効果が発表されたオリジナルの論文によれば,18歳〜40歳の場合,〈が+ば→だ〉回答は98%,〈か+ぱ→た〉回答は81%との結果が示されている.

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