社会

2019年6月 3日 (月)

時代を先取りしすぎていた。38年早すぎた?

上着なし、あるいはスーツにノーネクタイなど、社会的に軽装が許容されるようになって久しい・・・・20年以上か?

今年は、仕事もスニーカーでOKとのニュースが耳に目に入ってきた。

は既に38年前に、スーツにノーネクタイ、そして革靴ではなくスニーカーという出で立ちで出かけたことがある。
友だちからは、変だと言われた。

それは実のところ、主義や主張や思いがあってのことではなく、ある意味あまのじゃくで、悪くいえば無知で世間知らずで、よくいえば自分の感覚に素直に、服装を選択しただけであった。

冗談まじりにいえば、僕が時代を先取りしていたといえる。
ひとと社会の関係でいえば、社会からの制約が弱まって、ひとが自由になれたひとつの側面といえる。
ただし、ネクタイはNGとか、スニーカーじゃなきゃダメとなってしまっては、制約の基準が変わるだけで制約の強さは変わらないことになるから、制約を弱める(自由が拡大する)ことに注意を向けるべきだと思う。

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2019年5月14日 (火)

アメリカ人にも、チップは難しい?

アメリカ合衆国(米国)の雑誌「Consumer Reports」の2019年2月号に、チップに関する特集記事がある。チップの作法(マナー、エチケット)が解説されている。

アメリカ人には当たり前の習慣だと思っていたから、特集記事で解説されていることに、驚いた。
チップは日本にはない習慣だから、チップの習慣のある国に行った際にはもチップには悩まされているが、まさか、アメリカ人にとっても難しいとは、驚いた。
驚いたと同時に、何事も、外から見るのと中にいるのとでは違うものなのだな、と思った。

さて、その記事を読んで、ホテルに宿泊した際の部屋係(ハウスキーパー)へのチップについて発見があった。

以前、アメリカ事情通の日本人が書いている記事で、部屋係へのチップについて読んだことがある。
そこには、ベッドにチップを置くのは日本人だけであり、アメリカ人でそのようにする人に会ったことがないというような話が書かれていた。
僕は、へぇーそうなのかーと納得し、自分がアメリカでホテルに泊まった際に、ベッドにチップを置いてきたことを振り返って恥じ入った。

しかし、上記の Consumer Reports のチップ特集には、部屋係へ向けてチップを置くのが普通であるように書かれている。
毎日$3から$5を、「For housekeeping」のメッセージを添えて置くように薦められている。
つまり、そのアメリカ事情通は、本人の周囲の情報を、あたかも皆がそうであるかのうように一般化してしまったようだ。

僕自身を含めて、個人の考えは常に偏見である可能性があるということだろう。
人々のコメントを信じ切ってはいけないのだなと、改めて思った。

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2015年2月 5日 (木)

過ぎたるはなお及ばざるがごとし

以前,このノオトで,清潔と衛生的の違いについて述べた.

最近,読売新聞サイトで,「身の回り清潔になり?子どもの花粉症患者が増加」なる記事を読んだ.

子どもの患者の増加や,発症の低年齢化の原因として,スギやヒノキが増えていることに加えて,身の回りが清潔になったために免疫力が高まらず,アレルギー反応を起こしやすくなった可能性があると述べられている.

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2014年8月10日 (日)

やさしさの基準の違い?それともからかい?

このノオトで,これまでに幾度か「やさしさ」を取り上げた.
例:「ノオト:不親切という優しさ」「ノオト:厳しいだけじゃない

やさしさの基準や捉え方が,時代や世代によって大いに異なることなどを述べた.

さて,1年ほど前のことである.やさしさの基準の違いなのか,それとも,単にからかわれたのか迷わされる体験をした.

そのとき,カフェの座席は9割方が埋まっていた.は二人がけのテーブルに一人で座っていた.僕の両脇の同じく二人がけのテーブルが両方とも空いていた.

そこに,見かけは高校生だが,冷静に判断すれば既に高校は卒業しているであろう女子(つまり大学生か専門学校生の女子)の5名の集団が座席を探して近くにやって来た.
動向を観察していると,ひとりが「ここにする?」と言うと,他のみんなは「そうだね!」とすぐに同意し,僕の両脇に分かれて座ろうとしているではないか.

一緒に来たのだから一緒に座りたいだろうというフツーの気遣いが半分(このような気遣いは,よく電車内で遭遇する),そして残り半分は,ただでさえ賑やかな年頃で,しかも僕とは世代が違う,つまり感覚が違う集団だから隣にいるのは避けたいのに,二手に分かれて挟まれてはかなわないという避難目的だった.

僕が席をひとつずれると申し出たところ,彼女たちは僕の予想外の反応をした.

「やーさしい−!!」と,感情がこもっているのかいないのか,喜んでいるのかいないのか分からないが,ともかく,僕たちの世代なら感動したときに発するような,はっきりとした大きな声だった.しかも,ほぼ全員が声をそろえて.

僕が予想していたことばは「ありがとうございます」あるいは「すみません」だったから,意外さに戸惑うとともに,居心地が悪かった.

彼女たちが,その種のちょっとした気遣いに,ちょっとした感謝のことばを述べることに慣れていないから,簡単なお礼のことばではなく感動のことばになってしまったのか.それとも,慣れの問題が理由だというのは同じだとして,相手を喜ばせておけばいいのだと考えているのか.

いずれにせよ,僕の感覚からすると,感謝されているとは感じられず,悪く取れば,からかわれていると感じてしまった.

実は,そもそも,この種のことばは,それを言う相手の真意を読み取るのが難しいことばでは,ある.

女性が男性に向ける場合を考えると,「やさしい人ね」は脈なしで,「ひどい人ね」は脈ありの場合がある一方で,本当にことば通りの場合もあるからだ.

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2014年2月 6日 (木)

放送倫理違反?

2013年7月の参議院選挙期間中に放送倫理違反があったとして,2つのテレビ局(関西テレビ,テレビ熊本)がとりざたされた.

特定の候補を取り上げたからだそうだ.

ニュースになったのは2014年1月8日のことである.
(ニュースの概要は例えばこちらを,更に詳しい内容はこちらを参照.)

はそのニュースをラジオで聞いた.

ニュースを聞いて,おおいに違和感を覚えた.

なぜなら,年明けからテレビ各局が大変に盛り上がっており,多くの放映時間を割いている東京都知事選挙(2014年2月9日投票)に関して,特定の候補ばかりが取り上げられているのを毎日のように見ているからだ.

「主要候補」などの表現で,知名度の高い候補ばかりを取り上げて,「その他」の候補は名前や写真が出るだけである.
(間違いなく表示はしてありますよ,との形式主義はノオト「写真はイメージです」で述べたことに通じるところがある.)

真に公平なのは,テレビとラジオで放送される政見放送である(政見放送では,立候補届出順に同じ時間が割り当てられる).

とはいえ,選挙を取り上げる番組のうち,政見放送が占める割合は微々たるものである.

倫理とは何なのか,疑問が膨らむばかりである.

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2013年12月28日 (土)

上位校公表

今年は,全国学力・学習状況調査(いわゆる,全国学力テス ト)の話題が幾度も目にとまった.

静岡県知事は9月下旬,自己責任で県内の上位校を公表すると宣言し,ニュースになった.

実施者である文部科学省の実施要領によれば,今年については学校名が分かる結果公表を原則禁止としているようである[2013年度実施についての文科省の通知(2012年12月7日付)はこちら].
しかし,2013年11月29日に発表された2014年度実施要領によると,「教育上の効果や影響等に十分配慮」すれば学校名が分かる公表が可能であるように読み取れる.

素朴に解釈すれば,静岡県知事の行動が世論を動かし,世論が文科省を動かした形に見えなくもない.

は,上位校公表ですら問題視していた.学校別の公表はなおさら問題だと思う.

その理由は,実は文科省の実施要領の「調査結果の取扱いに関する配慮事項」に既に慎重に記述されているとおり,「測定できるのは学力の特定の一部分であること,学校における教育活動の一側面に過ぎない《…中略…》序列化や過度な競争が生じないようにするなど教育上の効果や影響等に十分配慮することが重要」だからである.

無数にある評価軸のごく一部を近視眼的理由で選択した少数次元空間での最適化は,人知の及ばない高次元空間で見れば局所最適化に過ぎないからである.
井の中の蛙大海を知らず,になりかねない.

もちろん,節度を守って目標とするならば,おおむね有意義に活用できるだろうが,節度を守れない雰囲気が作られてしまう可能性が,はなはだしく高い.

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2013年10月 3日 (木)

高齢者の甘え?

の観察する限りでは,電車内で着信音を鳴らし,電話に出て会話する人は,若い世代よりも高齢者に多い.

数年〜10年ほど前までは,電車内で着信音が鳴っても,それがジイジやバアバであれば,ケータイが使いこなせないのだろうと大目に見ていた.だから,一瞬イラッとしても,それが高齢者だと分かると,すぐに冷静な気持ちに戻れた.しかし,最近は,そのようには思えなくなってきた.

自らを情報弱者に位置づけ,寛容な周囲をいいことに甘えて傍若無人になっているだけではないかと思えてきた.

喫茶店内で当然のように大きな声で通話する高齢者もいる.加齢による聴力の低下は理解できるが,それにしても,店内に大きく響き渡る声がやかましい.

2週間ほど前のニュースによれば,日本の人口に占める高齢者の割合が25%に達したそうだ.身体的にも経済的にも強い高齢者が社会を席巻する時代に突入したといえるのかもしれない.

ところで,そのニュースと時期を同じくして,高齢者の定義を,現在の「65歳以上」から引き上げようという議論が始まったようだ.高齢者まで10年と少しに迫っていた僕だが,定義が変わればまだしばらく非高齢者でいられる.

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2013年9月 8日 (日)

目標をイメージすることの時代性

昨今は,就職説明会や大学説明会で,本人だけでなく親を対象とする事例が増えているようだ.

親といえば,ふと耳にした,小学生の親のことばが印象深く残っている.

昨年4月のことである.場所がファミレスだったか,それとも路上であったか忘れてしまったが,新小学1年生の親どうしの会話にあったひとことである.

新入生を歓迎する2年生の出し物を見て,我が子も来年の今頃にはあそこまでできるようになるんだなぁと思ったら感慨深かった,と.

1年後の目標が示され,我が子もそうなれるだろうかという不安とともに,きっとそうなるのだろうと期待する気持ちが表われていた.

大学でも同じように,1年後あるいは数年後にそうなっていると期待される目標が示せればいいのだが,と思う.

小学1年生の場合には,本人が自分の1年後と照らし合わせることはないだろうから,親の視点が最重要だが,大学の場合には本人と親に,目標が示せればいいのだが,と思う.

大学生なら自ら目標を設定すべきとの向きもあろうが,現在の大学生を取り巻いてきた環境は,このような目標をイメージすることを困難にさせている.

一方,今の大学生より30歳ほど年上のは,本や自分の体験でしか情報に触れられない時代に10代半ばを迎えた.

高校数学に関する次の経験をよく覚えている.上級生が使い終わった教室の黒板に残っていた数式に,まったく意味は分からないが,自分が勉強している数式とは違うレベルの複雑さと,形(絵)としての美しさを感じ,自分も1〜2年後にはそのような数式を理解できるんだなぁと(楽観的に)想像しつつ,形状のイメージだけを適当にアレンジしてノートに書いて同級生に見せ,同級生から「おー!かっこいいー!」との反応をもらって喜んだ記憶がある.後から思えば,積分の数式だった.

1年後やその後の将来にこうなっているんだなぁ,あるいはこうなっていたいなぁというイメージを抱くことは,上述のように,僕の世代には努力して行なうことではなかったが,現在では,若者は——いや,若者に限らず僕の世代も?——努力しなければできない環境にあるようだ.

だから,本質的には対症療法であっても,大学生を目指すあるいは大学生になりたての本人と親に,数年後のイメージを伝える方策を考えることも,大学として必要なことなのだろう.

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2013年7月 9日 (火)

滑らかなグラフ

がかつて見たことがないに等しいテレビ番組「池上彰の学べるニュース」(テレビ朝日)を,その日(2013年7月7日)珍しく見た.もちろん,いつものように消音して.

僕が見ていた時間帯の話題は参院選であった.

その中で,驚くほど滑らかなグラフが出てきたので,すぐにカメラのシャッターを切った.それがこの図(クリックで拡大)である.

Sangiinsenkyo2010touhyouritu

実験やアンケートの結果をグラフにすると,大概はこれほど滑らかにはならず,どこかで凹みができるものだが,この結果(2010年参議院議員選挙の年齢層別投票率)は特異な年齢層がなく滑らかなのが驚きである.

出展として書かれている「目で見る投票率」をWeb検索したところ,総務省の選挙関連資料ページに,元となった情報(PDFファイル)があった.

その情報大変に面白い.衆参院選における男女別投票率,天候との関係,無効投票の状況,地方選挙の投票率,棄権理由,投票した時間などなど,情報満載である.

ちなみに,そのPDFファイルを見ると,前回および前々回の衆院選,そして前回(2010年)および前々回の参院選の4つの選挙すべてで,年齢層別投票率は凹みがなく滑らかになっている.

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2013年7月 4日 (木)

サービス向上のためのハイテク機器

以前,米国のサービス後進性について述べたが,ひとつ,が初めて見た(初めて体験した)進んだサービス機器があった.

現在の日本では,さまざまな場面でセルフサービスが浸透している.

注文した食べ物が出されるまで注文カウンター脇で待ったり,注文品ができたとの呼びかけで取りに行ったり,受信機を渡され,呼び出しベルのピーピー音やバイブレーションで順番が来たことを知ることは,庶民の日常茶飯事である.

だから,店員が見やすいように工夫された番号札を渡されてテーブルに座れるときには,セルフではないサービスを受けられて,気楽で気分がいいと感じる.

店員の立場に立つと,番号札の見つけやすさは客の置き方と店の広さや構造に依存する.
広い店,死角のある店,2階のある店では見つけるのが大変そうである.

冒頭に述べた,米国で体験した進んだサービスとは,この番号札のハイテク版であった.

カウンターで注文すると写真(クリックで拡大)のプレートを渡された.大きさは片手には収まらない程度,厚さは7〜8ミリメートルだったと思う.
Tabletracker

これをテーブルに置いておくようにとの説明だった(プレートにもそう書いてある).

これは,広くて死角の多い店内でも,店員が迷うことなく客のテーブルを特定できるシステムであった.
メーカーのWebページには,この装置の利便性をアピールするムービーが掲載されている.

ボストンのPanera Breadで体験したこのシステムは,サービスやユーザーインターフェイスに強い関心のある僕の好奇心を強く刺激したのであった.

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