2015年4月 5日 (日)

エナジー!そしてカロリーオフ!?

Enerycalorieは酒も好きだが,清涼飲料も好きで,最も好きな清涼飲料はドクターペッパーだが,清涼飲料の新商品が出ると飛びついて買って飲んでみている.

そのひとつのラベルが写真(クリックで拡大)である.

エナジー(エネルギー)たっぷり,それでいてカロリーオフ,との謳い文句が矛盾していて面白かったから,ラベルをはがして写真に撮った.
(「ノオト:ノーパソ」中にも,似たような矛盾の例を述べた.)

その後,これは本当に矛盾なのか,それとも,僕がことばを知らない,あるいは知識が足りないだけなのか,それを確認しようとインターネット検索した.

それでたどり着いたのが次の2つのWebページである.
カロリーとエネルギーの違いについて
カロリーとは

結論として,そのラベルはやはり,面白い矛盾であった.

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2013年5月29日 (水)

言い切ることの大切さ

自分ではさまざまなことに気づいているつもりでも,まったく気づかずに見逃しているものも多い.

自分の研究に関連する場合には,やられた!と思うことがあるが,日常の場合には,むしろ,ほぉ〜!とうれしくなる.

最近,雑談をしていて,「ひよ子」(名菓ひよ子)がヒヨコに見えないと話題になった.

ひよ子はのものごころがついた頃には既にメジャーになっていたから,疑うことを(あまり)知らない頃からその存在に触れていたから,疑問の範囲外にあったようだ.

そう言われて客観的に見てみると,確かに全然ヒヨコじゃない!

さて,…

僕はよく,「すごいなー!」とつぶやくことがある.もちろん,誰かがいるときに突然つぶやくと怪しいから,ひとりのときにである.つぶやくのは,何かに関心したとき,あるいは,感心したことがらを改めて頭に思い浮かべてかみしめたときである.

上述のひよ子に関連することとして,10年ほど前から時折思い返しては感心しているのは,カップ焼きそば(ペヤングなど)のことである.

それは,ただのゆでそばを焼きそばであると言い切って商売を始めた人に感心するのである.

これは焼きそばですよ,と言われて,ぜんぜん焼きそばじゃないじゃないか!と言う人は少数派だろう.かくいう僕自身も,初めてカップ焼きそばを食べて20〜30年が経つまで(今から10年ほど前まで)は疑わなかった.

ひよ子とカップ焼きそばの教えは,言い切ることの大切さであろう.

商品に限らず,研究の場合にも,それがたとえ間違いであっても,言い切ることで論点が明確になり,建設的な議論へと発展するのだろう.

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2012年6月25日 (月)

ある菓子パンとの出会い

Zakuzakusoftbreadあまのじゃくを自認するは,宣伝文句に踊らされることが少ない.より正確に言えば,宣伝文句に踊らされないよう,できるだけ懐疑的に捉えるようにしている.

だから,「売れてます」とか,「全米が泣いた」とか,「20万部突破」という宣伝には,それを初めて考案した人を凄いと思うし尊敬するが,売る側の誘導に乗らないように(一方的に負けないように)努力している.

このような考え方は,疲れる,楽しくないと思う人もいるだろう.しかし,僕にとっては,それが喜びで,楽しいのだから仕方がない.それが,あまのじゃくの所以である.

さて,このような僕だが,最近,販売戦略に乗せられ,しかし,乗せられても悔しくはなく,素直に負けを認めてハマってしまった菓子パンがある.それは・・・

とっておき宣言
ザクザククッキー&クリームパン
口当たりまろやかなクリームパンにクッキーをのせました
(145円,山崎パン)

である(写真参照;クリックで拡大).

元々,そして今でも,よく,昼食の一品として甘い菓子パンを食べる.だから,新製品を目にすると,それを手に取ることが多い.

このパンが,あるコンビニのパンの棚の最上段(だったか,2段目だったか)にずらりと,差し渡し5列以上にわたって並べられていた.

クリームパンの柔らかさとクッキーのザクザク感が,これまでの菓子パンにはなかった,美味しいだけでなく楽しい味わいをもたらすのだ.

最後に,これを幾度か食べてみて分かったことを述べて〆にしたい.

それは,買ってすぐに食べた方が美味しいということ.これまでの菓子パンは,賞味期限内なら数日置いてから食べても,すぐに食べるのと美味しさに大差はなかったが,このパンの場合は,数日置いておくとザクザククッキーのザクザク感が減弱してサクサクになってしまうのだ.ただし,パンの名誉のために加えておくと,数日置いたパンであっても,はじめて食べる人は,そのサクサク感と軟らかいクリームパンのコンビネーションに感動するだろう.

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2011年7月21日 (木)

シュガーフリーでも悪くない

RedBull SUGARFREE

は独断と偏見的な主観で人工的と思えるモノを好まない傾向を有している.

もちろん,これは飲食物に関してであって,工業製品には当てはまらない.

僕が好まない飲み物には,発泡酒,リキュール類(第三のビール),カロリーOFFやシュガーフリー飲料がある.

このような僕だが,米国で見つけて飲んだ RedBull - SUGARFREE は気に入った(写真はそれ.通常版の缶の青色が水色になっている).

元々レッドブルが好きで時折飲んでいるから,その未経験バージョンだったために好印象で心に飛び込んで来たのだろう.

加えて,暑い時には甘さが抑え気味のシュガーフリー版は爽快感が増す.

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2011年6月26日 (日)

残念な変化

が10年以上通っているそば屋に残念な変化が起こっていた.

通っているとはいうものの実は最近3〜4年は年に数回ほどしか行かなくなっていたから,たとえ僕の中ではお気に入りのそば屋であっても,その気持ちはそば屋には伝わってはいなかった.

こう書くと,「ノオト:商店街のお店(続)」と同様の筋書きの話と勘違いされそうなので,結論を書こう.

そのそば屋は,民家と古民家の中間に位置づけられる家を店舗にしているから風情があり,それも大変に気に入っているのだが,何よりもそばを気に入っていた.

ざるに盛られた細いそばが空気をふわりと包み込んでいて,よく泡立てた生クリームに通じる雰囲気を醸し出していた.

それが今では,そばは3倍ほどの太さになってしまい,ふんわり感は95%減となってしまった.

残念!

そばを薄〜く延ばす製法には変わりがないようで,厚みは変わりなく,それを切る間隔が広くなっていた.以前は細いそばだったのが,今のそばは平べったくて薄いそばになった.

時折ふと思い立っては,食べたときの美味しさを想像してウキウキして訪れて,そして満足して帰って来たものだが,今のそばではもはや僕にとって特別の店ではなくなってしまった.

もっとも,これはあまのじゃくな僕の見解であるから,お店としては今まで以上に繁盛する可能性はむしろ高いかもしれない.

ちなみに,「そばを打つ方,変わったんですか?」と訊きたくて,会計時に正にノドまで出かかったのだが,店内から厨房をそっと目隠しする暖簾の1〜2メートル奥でそばを作っている人影の耳に入るのを遠慮して訊けなかった.

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2011年2月 9日 (水)

ウナギの卵---あまのじゃく的雑感

史上初めてウナギの卵を採取するという快挙がメディアを席巻したのは先週のことである.
ニュースもワイドショーもこぞって取り上げていた.

テレビで断片的に紹介された映像で研究者自身が説明していたスライドを見ただけだが,数十年にわたって日本列島から太平洋を南下し,成魚から稚魚,そして卵へとたどり着く過程は,サスペンスドラマで犯人が追いつめられるワクワク感に通じる研究(探求)の醍醐味を感じた.

もちろん,快挙を達成した今となっては懐かしい苦労話になるであろう数知れぬ失敗や地道な試行錯誤があったはずだから,研究者のはしくれのも成功を讃えたい.

しかし,である.

これで美味いウナギがいつまでも食べられるようになるでしょう,というような内容の発言には違和感を覚えた.

マスコミが言うのならともかく,プロジェクト・リーダーである研究者の発言だからだ.

僕はあまのじゃくだから,基本的に何が起こってももヘッチャラである(ヘッチャラを装っている).
だから,自分の大好物が食べられない状況になったとしても,やせ我慢かもしれないがヘッチャラなのである.
現に,30年ほど前まで僕の大好物だったすっぱい夏みかん(砂糖を付けて食べてちょうどいいくらいにすっぱい夏みかん)が市場に出回らなくなり,食べる機会がなくなって残念だが,それはしかたないとあきらめている.
毎日食べ続けても最低1か月は楽しめると確信しているカレーライスが食べられなくなっても,寂しくはあるがそれはそれで仕方ないと思える・・・と思う.

そんな僕だから,その研究者には,ウナギの完全養殖につながるかどうかは知らないが,ただ知りたかったのだと言ってほしかった.

とはいえ,マスコミの報道では真実がそのまま伝わることはまずない.
編集の魔術で,発言者の見解はいかようにも操作できる.

あるいは,その研究者も,「鰻の蒲焼きが食べられなくてもいいって〜!そんな日本人がいるなんて信じられな〜い!だから大学の研究者は世間の気持ちが分からないんだ!そんな研究に我々の血税が使われていると思うと腹が立つっ!」という納税者感情を引き起こさないように配慮してのことかもしれない.変人だとは思われたくないから,世間の人が考えるであろうことを述べて無難にやり過ごそうとしたのかもしれない.

と,推定ばかりで書いてしまったから,ひょっとするとウナギが大の好物で鰻の蒲焼きのない土用の丑の日など想像できない,日本がそんな事態に陥ったらもう生きてる意味がない,だからウナギの卵を見つけたかったんだ,というのがその研究者の本音だとしたら,それはそれでブラボー!と言いたい.

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2010年9月25日 (土)

郷に入っては郷に従え

ノオト「写真の撮り方」に書いたラーメン店の店内は静寂が支配している.

聞こえてくるのは店主が麺の湯切りをする音,冷蔵庫の開け閉めの音,客が麺をすする音,自動券売機にお金が投入される音くらいである.会話はもちろん,おいしいねという発言も御法度である・・・のだと思う(下方参照).ともかく静かにしていなければならないのだ.

いらっしゃいの声もかからないその店に初めて行ったときには,息を殺さなければならないほどの緊張を感じた.一度経験すればいいかな,という気持ちであった.

が,そのラーメンのおいしさが忘れられずに時折出かけるうちに,静寂にも慣れてきて,その静寂がむしろ心地よいと感じるようになってきた.何より,店主がラーメンを作る一挙手一投足をカウンター越しに見ているのが楽しい.何度見ても飽きない.

はじめて訪れて以来数年が経ち,が通う頻度も高くなり,その店の暗黙のルールの理解も徐々にではあるが進んで来たら,無口な中にも店主とコミュニケーションをとる方法を身につけることができた.

それは,見るからの常連客がしていたことを真似ることから始まった.

椅子に腰掛けて食券を出す際に「よろしくお願いします」と言うと,「はい」と返してくれた.「写真を撮ってもいいですか」と訊くと,「どうぞ〜」と答えてくれた.「ごちそうさま」とお礼を言うと,「はい,どうも〜」声を掛けてくれた.

さて,最近その店に行ったとき,ある場面をはじめて目撃した.それは業者が食材を納める場面である.

一般に業者は,店の営業時間ではあっても「こんにちは〜!お待たせしました〜」と元気に入ってくるものだが,その業者は,そーっと入ってきて,声にならないほどの小さなささやき声で「じゃっ,ここに置いときます」と言って静かにドアを閉めて帰って行った.

客ばかりでなく業者も雰囲気作りに協力しているのに感心した.

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2010年6月22日 (火)

常連の心理

ある日曜の夕方,たちは,飛び込みで飲める店を探していた.

日曜じゃなければ,その近辺にいい店があるそうなのだが,日曜だと営業している店が少ない.

ぷらぷらと歩いていると,明かりの点いた看板を発見! 「ここでいっか」との一人の声に,数名が看板に近づいていった.

その店は地下にあるので,しばし皆で逡巡[しゅんじゅん]していたが,「他を探そっか」との声に皆が立ち去ろうとしたところへ,少し遅れてきた一人が言った「この店いいよ♪」.

僕たちが看板の前で悩んだ末に店に入らなかった理由は,黄色地に黒の筆書体の看板から受ける印象がよくなかったからである.
(ノオト「表示の重要性」も参照)

地下へと降りて行くと,そこには飲食欲をそそる店構えがあるではないか.そして,店内も,酒も,料理も,店員もベリー・グーではないか!

もったいない.こんなにいい店なのにあの看板で損してるよ.店長に言ってみよっか!? 隣に座った人とそんなことばを交わしたが,「やっぱり,やーめたっ」と,声に出したのか心の中だったのか記憶が定かではないが僕はつぶやいた.

それは,あまり人に知られていない(かもしれない)いい店を見つけたので,このままそっと大切にしておきたいという心理であった.

店を大切にする心理は常連となって極まる.常連になると,店が好き,店に集う仲間が好き,そのままの店を維持したい,だから誰にでも店を教えるわけにはいかない.それは同時に,自分の隠れ家を,自分の素の部分を(あるいは職場では見せない面を)見せられる場所を守ろうとすることである.

以前このノオトで話題にした店の場合,そこそこ親しい同僚であっても連れて行く決意をするまでに半年かかったこともある.

冷静に考えてみれば,その,黄色地に黒の筆書体の看板の店は,僕がちょくちょく行ける場所ではないから,気持ちでは大切にしたくても,店に貢献することはできないのだから,看板に対して感じた率直な意見を伝えておけばよかったと思う.

と同時に,あれだけいい店なのだから,曜日の問題で客が少なめであっただけであって,その他の曜日は大繁盛している可能性が大である.

そもそも,ここまでの話は古い世代の考え方かもしれない,というより,間違いなくそうだ.

インターネットの口コミが大きな影響力を持っている今,立地や看板や店構えをすっ飛ばして,直接にサービスを見ることが可能だ.

そう考えると,インターネットで(高評価の)口コミをするファンの心理は,古い世代の常連の複雑で微妙な心理とは大きく隔たっているようだ.

と,ここで気になったので,その,黄色地に黒の筆書体の看板の店をインターネットの口コミで調べてみたら,評価件数がまだまだ少ないので安定した評価とはいえないが,平均「★★★☆☆」と,可もなく不可もなしであった.やはり看板でも頑張ってもらうべきかもしれない(^_^;)

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2009年6月13日 (土)

「医者の不養生」的なこと

Riceがよく行く居酒屋は,誰を連れて行っても間違いなく喜んでもらえる.

そういう僕も,友だちに連れて行ってもらって以来ハマってしまったのだ.

店主とお手伝いでこぢんまりと営まれているその店は,当日仕入れた鮮魚を中心とした和食が振る舞われ,街のそこだけが別世界のように賑わっている.

が,連れて行った人から後日悩みを打ち明けられることもある.それは若者の場合に多い事例である.

その居酒屋に行って以来,スーパーやコンビニで買う刺身やおにぎりが美味しく感じられないという.(もう若者ではないが,かく言う僕もその一例である.)

何ごとにも,知る幸せと知らない幸せがある.そして何ごとにも,ふさわしい順序がある.

満足を求めるあまり分不相応に浪費をして窮地に追い込まれることがあるだろう.しかし一方で,知らなければよかったのに知ってしまった幸せを再び味わいたくて,努力して成功することもあろう.

このような客の悩みを知ってか知らずか,その居酒屋の店主は,あっけらかんと言う.「オレはセブンイレブンのおにぎりが好きだね!」と.

実際,その店主は,落ち着いて夕飯を食べる時間がないからと,仕事帰りにコンビニ(主にセブンイレブン)でおにぎりを買い,食べながら車を走らせるのだ‥‥‥もちろん,しらふです,念のため.

そのようなことを考えながら,横断歩道で信号待ちをしていたら,向こう側に見覚えのある強面の男性が立っていた.

マスコミにも登場する,行列のできる人気ラーメン店の店主だ.

昼前からひっきりなしに来る客にラーメンを振る舞い続け,恐らく,夕方を待たずして今日の分のラーメンが終了し,厨房の掃除や片付けを終えて帰宅するところなのだろう.サングラスで隠された表情には充実感とともに疲労も混ざり合っているのだろうが,外では疲れは見せたくないという格好良さがそこにはあった.

僕も何度か食べに行ったことがあるので,感謝の意を込めた挨拶をしたいところだったが,店主が顔を覚えてくれるほどの常連でもないから,その時は,すれ違うまでの短い間の観察に留めておいた.

その店主が手にする半透明のレジ袋からは,はっきりとカップラーメンの容器が透けて見えていた.

時間をかけて丁寧に作った,とっても美味しいラーメンはすべてお客に食べさせて,自分自身の食事は簡単にすませているようだ.

それがサービスというものなのかもしれない.

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2009年3月21日 (土)

発見?それとも勘違い?

Mintia僕とフリスクとの出会いは1990年代前半である.知人Fに教えてもらった.

当時Fに教えてもらった類似のキャンディーの中で,フリスクは癖のない素直なものだったせいもあって,すぐに僕のお気に入りになった.

僕のフリスクの食べ方は,一度に2粒が基本で,時には1粒,3粒である.

だから,数年前にベルギーのスーパーマーケットで売っていた現地版ケースが日本のものと大きく異なっているのが嬉しくて,自分用と土産用にいくつか買ってきた(そのケースの写真は後日掲載するつもりである).

日本のフリスクとその(ベルギーで購入した)フリスクのケースの大きな違いは,日本のものが数粒をいっぺんに取り出せるのに対し,それはどうしても1粒ずつしか取り出せない構造をしていることである(1粒ずつ押し出すようになっている).

さて,いったん気に入るとそれを続けるのが常の僕は長年フリスクひとすじだったが,知人Rの影響でミンティアも食べるようになった.

数年間接しているミンティアについて,いまさらながら気づいたことがある.いや,ひょっとすると,それは気づいたのではなく勘違いなのかもしれないが….

それは…,先のベルギー購入フリスクが,どうしても1粒ずつしか取り出せない構造であるのに対し,ミンティアは複数粒の取り出し,1粒の取り出し,どちらにも対応しているということだ.

複数粒を取り出す場合には取り出し口を開けてからケースを傾けて振ればよいし,1粒だけ取り出したいなら,取り出し口のふたを閉じたままケースを傾けてからふたを開けると,写真[下側](クリックで拡大)のように1粒だけが取り出しやすくなっている.

これは,仕様に気づかずにいた僕なりの発見かもしれないし,ひょっとすると設計にはない僕の勘違い(≒思いこみ)かもしれない!?

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