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2014年4月27日 (日)

具象と抽象

素朴に考えれば,具象とは具体的で分かりやすいことであり,抽象は何らかの基準(作品であれば作者の基準)にしたがって本質を抽出および結合したものである.

それは,具象は見たままだから分かりやすく,抽象は難しくて分かりにくいという考えに結びつく.

もずっとそう考えていた.10年ほど前に,脳科学者セミール・ゼキの著書「脳は美をいかに感じるか」(引用文献欄を参照/通販サイトAmazonへのリンクはこちら)に巡り会うまでは.

その本を読んではじめて,ピカソの抽象画の意味(ピカソの気持ち)が分かった気がした.ピカソは抽象的なものが描きたかったのではなく,見たままを絵にしたかったのだ.

見たままではないではないか,と思う人も多いだろう.《見たまま》ではなく《認識したまま》と言った方が伝わりやすいかもしれない.

人は,たとえば知り合いの誰かの横顔を見るとき,目に飛び込んでくるその人の横顔の映像(画像)だけを認識しているのではない.その人の正面顔,笑顔,不機嫌な顔,声,仕草など,その人について知っていることが同時に認識され,それによって改めてその人を認識し感じている.

ある瞬間の横顔は,極端な言い方をすれば,《その人》ではなく,ある人のある瞬間の,ある瞬間だけですぐに消え去ってしまう横顔の映像に過ぎない.

ピカソは,人物の瞬間の断片ではなく,その人物を1枚の絵として表現したかったのだ,と上記の本に解説されていた…と記憶している(仮にこの記憶が誤りであっても,僕はそのように理解し,考えが整理できているのでよしとしている).

さて…

今年の2月9日に,偶然に,普段は見ない番組「日曜美術館」(NHK Eテレ)を見た.

そこで紹介されていた画家・猪熊弦一郎のことばを聞いて,目から鱗が落ちる思いがした.そのことばは
〈見慣れているから変に思わないだけで,客観的にそれだけを取り出してみたら,鼻だって耳だって,奇怪な形をしている.〉
である[おことわり:文言は正確ではない].

具象と抽象は,字面で簡単に区別している気でいるが,実はそう単純ではなく奥深い対比なのだと思う.

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