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2013年10月

2013年10月30日 (水)

そのまんまイメージ

Eclairノオト:「写真はイメージです」では,写真はイメージですと表記してあるのに,実はほとんど真実であって,いい意味で裏切られた例について述べた.

それに対し,この写真(クリックで拡大)は,あまりにもストレートにイメージだから,素朴なイラストとあいまって微笑ましい.

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2013年10月28日 (月)

フリッカー

iPhoneの標準機能にも組み込まれているフリッカー(Flickr)だが、特に1年ほど前から,日本向けのサービスの悪さが物議を醸している.

それ以前からも,ウェブサイトが日本語化されていないこと,iPhone用アプリが日本語化されていないことなど,インターネット上で不満が漏らされていた.

しかし,この1年ほどの問題はもっと重大だ.

それは,新しいバージョン(バージョン2)のアプリが米国などでは提供されているにもかかわらず,日本では入手できないのだ.
iPhoneからアクセスしても,パソコンからアクセスしても,新しいバージョンのアプリにたどり着かない.
日本では提供されていないと言われておしまいである.

この問題は国籍の問題ではないから,日本在住の米国人にも該当し,フリッカーのdiscussion groupでも不満が漏らされている.

自身も,半ばあきらめつつも,数ヶ月に一度ふと思い出して解決策はないものだろうかと検索したり,最近は,直接サポートにメールするなどしてみたが,開発者側のうっかりの問題ではなくポリシーの問題のようで根が深いから,まったく解決には至っていなかった.

そうこうするうちに,ある書き込みが目に留まり,それを実行してみたら,意外にあっさりと,新しいバージョン(バージョン2)のアプリを手に入れることができた.

それは,フリッカー公式サイト内のdiscussion groupで目にした「旧アプリを削除してiCloudから再ダウンロードしたらアップデートできた」(これは英語の原文をおおまかに日本語化したもの)である.

ポイントは,旧バージョン(バージョン1)をダウンロードしたことがあるならば,App Store「購入済みアプリ」に一覧があるから,そこからFlickrを探して再ダウンロードすると,なぜか,アップデートできてしまうのだ.

約1年の鬱々とした月日を経て,5倍(個人の感想です!)に高機能化したFlickrバージョン2が利用可能となり,うれしい思いをしている僕であった.

これからはじめて利用しようとする方にはしばらくの間(無期限!?)で我慢してもらわなければならないが,サポートへの僕のメールが一石を投じることになることを願いつつ,お先に便利さを享受させていただきます.

《追記》その後の検索でヒットしたページで,フリッカーのカメラは2本指のタップでピントと露出の設定ポイントを別個に設定できることを知り,バージョン1からの進化の大きさに驚いた.

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2013年10月22日 (火)

数字がぴんとこない

東京ドーム○○個分の広さという表現がよく使われるが,分かったような気になっても,実はぴんと来ていないという人は多いだろう.

プロ野球を知っている人なら,東京ドームをテレビで見たことはあるだろうが,「広さ」がフィールドを指すのか,それとも敷地全体を指すのかが分からない.

ウィキペディアによれば,東京ドームの建築面積で考えるのだそうだ.

についていえば,後楽園球場には一度だけ行ったことがあるが,東京ドームには行ったことがない.

僕が後楽園球場に行ったのは,僕の記憶から再生することができなかったが,インターネットで調べてみたら1978年4月4日のことのようだ.

さて,東京ドーム○○個分というのもぴんとこないが,今回の話題は最近電車の中吊り広告で見た換算である.

それは「生ビール6000杯分」である.

近年の若者は「とりあえずビール」が通用しないことが新聞記事になって久しいが,僕はまだ「とりあえずビール」の世代だから,生ビール1杯の感覚は分かる.

しかし,6000杯と言われてしまうと理解不能だ.

その中吊り広告の全文は「住宅ローンを借り換えただけで、なんと生ビール6000杯≒300万円分もトクしちゃうかも。」である.

中吊り広告だから,通勤時のサラリーマンに訴えかけようという意図なのだろうが,生ビールのたとえは失敗だと思う.

「300万円分」だけの方がいいと思う.

いや!

違うかもしれない.

僕はまんまとその広告に乗せられているのかもしれない.“生ビール6000杯で300万円って,1杯いくらで計算したんだろう”などと考えていた僕がいるから….

【余談】最初,「ぴんとくる」ではなく「ピンとくる」と書いた.しかし,念のため国語辞典を引いたところ,「ぴんと」は「糸をぴんと張る」などに使われる「ぴんと」であり,「ピンと」と書くのは間違いだと分かった.

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2013年10月12日 (土)

嘘も方便

あまのじゃくは,扉に「引」と書いてあっても押してみることが多い.

それは,それが構造上引かなければ開かないことの説明なのか,それとも,引いても押しても開くのだが,利用者の混乱を避けるためのお願いなのか区別したい(突き止めたい)からである.
後者は,出る人と入る人が扉の両側から同時に押したりすると混乱するから,片側には「押」,もう片側には「引」と書いてあるということである.これは,階段に掲示された「左側通行」と同じ意味を持つ.
つまり,左右どちら側を歩いても構わないのだが,すれ違う歩行者がぶつかったりせず,円滑に人が流れるようにするためのお願いである.

今回は自動ドアについての話である.

自動ドアには,ドアの前に立つだけで開くタイプ以外に,ドアに取り付けられている縦長のスイッチを押すタイプ,あるいは,ドアに「触れて下さい」と書かれた表示が貼ってあるタイプがある.
触れるタイプには,スイッチはなく,「触れて下さい」の表示に触れるだけでよい.

スイッチタイプ,触れるタイプのどちらも,人通りの多い場所に使われる.
すなわち,ドアを通過したい人以外にもドアの前に人が来る場合が多く,不必要にドアが開くのを避けたい場合に使われる.
(単にドアの前を通過しただけでは開かずに,入りたい人が来た場合だけドアが開く自動ドアについては,ノオト「考えもしなかった自動ドア」を参照.)

触れるタイプは,僕がよく利用する特急列車の車内に使われている.
ドアの前に立つだけで開くタイプが使われている列車だと,最前列通路側の人が足を動かしただけでドアが開いたり,電話をするためにデッキにいる人に反応して開いたりと,不必要な開閉が多い.
その点,触れるタイプならばそのような不必要な開閉が発生しない.

この触れるタイプの自動ドアに対して僕が以前から取っていた行動は,触れずに開けることである.

説明を簡単にするために「触れて下さい」と書いているのだろうが,近づければ開くはずだと思ったのが最初である.
案の定,触れなくても,手を表示から5ミリ程度に近づければ開いた.
(ただし,揺れる電車内で,触れずして確実に開けるためには,ちょっとしたコツがいる.)

この「触れて下さい」は,嘘も方便の一例である.
もしも「この表示の付近に手を近づけて下さい.ただし,近づけ方次第では開かないことがありますので,あらかじめ了承下さい.」などと説明されていたとしたら,説明としては正しいのだが,それでは要領を得ないから,方便の嘘をつくのである.

以上で今回の話にけりをつけたいところだが,続きがある.

触れるタイプの自動ドアに触れずして開けることに熟練し,苦もなく触れずにドアを開けられるようになった頃,ふと,人の手の検知方法について考えた.
はじめは,「触れて下さい」の表示部に,スマートフォンのタッチパネルと同じ静電容量センサーが付いているのだと考えた.
指でタッチパネルに触れたり,指をタッチパネルに近づけるとタッチパネルの電気的性質に変化が生じ,それを元にタッチが検出されるのだが,それと同じ原理だと考えた.

しかし,落ち着いて見てみると簡単に分かるのだが,静電容量センサーではなかった.

それは,赤外線センサーである(赤外線以外の光かもしれないが,間違いなく光センサーである).
自動ドアの表面すれすれのところを赤外線が走っていて,その赤外線が手でさえぎられるとドアが反応するのである.

電車内でも,店舗でも,触れるタイプの自動ドアの左右には直径数ミリの穴が付いている.
一方の穴から赤外線が出ており,もう一方の穴にセンサーが埋め込まれている.

ここから分かることは,触れる位置は,「触れて下さい」の表示の位置である必要はないということだ.
左右の穴を結ぶ線上ならどこでもよい(表示と同じ高さならどこでもよい)のだ.

ここで,もうひとつの,方便としての嘘に触れる必要がある.
確かに「触れて下さい」表示の位置でなくて構わないのだが,触れる場所によっては指が挟まれる危険がある.
表示の位置の正反対(ドアが引き込まれる側)に触れると,触れ方やタイミングによっては指が引き込まれる危険がある.

今回の話をまとめると,触れるタイプの自動ドアには,…

●手を触れなくてもよいのだが,説明を簡単にするために「触れて下さい」と表示.
●触れる場所は,左右の穴を結ぶ線上であればドアの左端から右端までのどこでもよいのだが,安全性を確保するために触れる場所を指定.

…これら2つの,方便としての嘘が使われている.

最後に,今の僕がどのような方法で列車内の触れるタイプの自動ドアを開けているかといえば,上述の穴をふさぐように1本または2本の指をかざしている.

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2013年10月11日 (金)

節煙

昨今,禁煙や分煙が浸透し,タバコの煙のない環境で過ごせる時間の割合が増えてきた.

鉄道の駅の構内も車両内も全面禁煙のJR東日本では,少なくとも顔に煙を浴びることなく駅と電車が利用できる.
多くの駅にある特例は,駅構内の店舗の喫煙席である.
(の知る限りにおいて,これにあてはまらない唯一の例外は,上野駅在来線特急ホームの端にある喫煙ルームである.スモーカーも大切なお客であることに違いないから,最大限の妥協をしているようだ.ガラス張りの喫煙ルームはいつも満員である.)

きれいな空気の中で過ごせる時間が増えたせいか,最近(5年ほど?)は,僕はちょっとしたタバコにも敏感に反応するようになったように思う.

例えば,禁煙であるはずの駅トイレ個室に充満するタバコのニオイである.
臭いなぁと思う程度ならましである.
10回に1回くらいは,臭くて臭くて,気分が悪くなる.
煙こそないのだが,きついニオイが充満して頭がクラクラすることがある.

また例えば,特急列車内でも同様のつらさを経験したことがある.
電車に乗っている1〜2時間を我慢するために吸い貯めしてきたとおぼしき人が隣に座ったときである.
10分もしたらタバコのニオイはしなくなるだろうと予想していたが,30分経っても一向にニオイが収まらないことがあった.
吸い貯めもさることながら,普段からヘビースモーカーなのだろう.
ニオイのためか乗り物酔いのような症状になり,気分が悪くなって,指定席だったが他の空席を探して移動した.

さて…

都会にいる間,そしてJRを利用している間は禁煙と分煙が進んでいるから,上述の比較的まれな場合を除いては煙と無縁だが,僕の住む地方都市の喫茶店は,喫煙可能で分煙されていないのが当たり前である.

食事とおいしい珈琲と憩いのひとときをとるか,煙を避けることをとるかを天秤にかけつつ,そして,喫煙客が少ないことを願いつつ,喫茶店を利用することが度々ある.

タバコが吸える店は喫煙者にとっては救いだから,そして,そのようなお客を相手にするのも店の経営だから,こちらがどうこう言えるものではない.
損得を天秤にかけて店を選んでいるのは自分自身なのだ.

そのような難しい状況にあって,僕のような非喫煙者にうれしい案内をしている店がある.

その店(喫茶店K)のメニューには「食事時は節煙にご協力下さい」と書かれている.

“節煙”は僕には馴染みのないことばだったが,普通に国語辞典に載っていることばだ.

禁煙化には踏み切れない事情がある中で,せめてもの対応をしてくれているのがありがたい.

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2013年10月 6日 (日)

サービスの難しさ

ノオト:使いやすいことの弊害!?では,バリアフリーやユニバーサルデザインに言及した.

それらは,簡単に言えば,誰にでも使いやすく快適なモノを開発しようとする試みだが,そもそも万人向けは不可能だから,そこには根本的な困難がある.

の経験で言えば,ATMの音声案内にもそのような困難がある.

高齢者率が高い地域だからか,それとも周囲の騒音が大きな場所だからか,時折利用するATMの中に,やたら声が大きく,うるさいところがある.

顔を見て年齢層を特定するシステムは10年前には既に開発されているから,利用者を見て,非高齢者ならば音量を小さくすることは可能だろうが,導入経費を考えると,そこまでのシステムを要求するのは酷だろう.

音声案内が聞こえないかもしれない高齢者のために,非高齢者が我慢することも必要なのかもしれない・・・・ただし,そのように我慢している非高齢者を気遣える高齢者が多数であるならば.

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2013年10月 5日 (土)

因果関係

因果関係(ある結果が,何を原因として起こったのか)を示すことは難しい.

A → B であると思えることでも,B → A を否定できないことが多いからである.

相関(2つの出来事に関係があること)を示すことは容易だが,源を特定することは難しい.

いわゆる「ニワトリとたまごの関係」(ちなみに,英語でもそのままchicken-and-egg)である.

例えば…

ノオト:使いやすいことの弊害!?の最後部で,長寿で有名なおばあさんが,毎日,高い物干し竿に背伸びして洗濯物を干していたことに触れた.しかし,「毎日背伸びしている,ゆえに,長寿」という因果関係を断定することはできない,と述べた.

さて…

因果関係の観点から,人生訓として興味深いことばを見た.

年をとったから
 遊ばなくなるのではない
遊ばなくなるから
 年をとる(老いる)のです
(善光寺 本坊 大本願 今月のことば / 2013年8月)

このことばは,日々,さまざまな観点からものごとを見たり考えたりしているの心に響いた.

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2013年10月 3日 (木)

高齢者の甘え?

の観察する限りでは,電車内で着信音を鳴らし,電話に出て会話する人は,若い世代よりも高齢者に多い.

数年〜10年ほど前までは,電車内で着信音が鳴っても,それがジイジやバアバであれば,ケータイが使いこなせないのだろうと大目に見ていた.だから,一瞬イラッとしても,それが高齢者だと分かると,すぐに冷静な気持ちに戻れた.しかし,最近は,そのようには思えなくなってきた.

自らを情報弱者に位置づけ,寛容な周囲をいいことに甘えて傍若無人になっているだけではないかと思えてきた.

喫茶店内で当然のように大きな声で通話する高齢者もいる.加齢による聴力の低下は理解できるが,それにしても,店内に大きく響き渡る声がやかましい.

2週間ほど前のニュースによれば,日本の人口に占める高齢者の割合が25%に達したそうだ.身体的にも経済的にも強い高齢者が社会を席巻する時代に突入したといえるのかもしれない.

ところで,そのニュースと時期を同じくして,高齢者の定義を,現在の「65歳以上」から引き上げようという議論が始まったようだ.高齢者まで10年と少しに迫っていた僕だが,定義が変わればまだしばらく非高齢者でいられる.

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