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2013年4月 1日 (月)

自分の記憶

子どもの場合は分からないが,ある程度成長すると,直前の自分の行動を思い出せないことがある.それは,必ずしも記憶力が低下しているからではなく,習慣化,自動化した行動が記憶に残りにくいからである.

例えば,外出前にヒーターのスイッチを切ったか,あるいは鍵を閉めたかなど,自分の行動の記憶が定かではなくて再確認することがある・・・・心配性のはこういうことがよくある.

習慣化した行動以外にも,ひとと話をしながら手に持っていた物を無意識にどこかに置いたりすると,その置いたことを忘れて立ち去ることがある.その物自体を完全に忘れて,しばらく経ってから別の目的で同じ場所に行き,そこに自分が持っていた物を見つけることがある.

後の方の無意識に関しては対処が困難だが,前の方の習慣化,自動化による場合については,いい対処法があることが分かっており,古くから実践されている.それは,指差し確認あるいは指差し呼称と呼ばれている方法である.

ヒーターのスイッチを切ったなら,ヒーターを指差しながら「ヒーター,スイッチOFF!」などと口に出すのだ.これは,目,口,耳,身体を動員する方法である.電車を利用すると,運転士や車掌の指差し確認を目に耳にすることができる.

仕事の現場ならともかく,日常では不要だと思うだろうか? そう思う人は,まだまだ脳が若いということだと思う.僕くらいの年齢になると,指差し確認の有用性を強く感じる.ただ,僕のヒーターの場合でいえば,声に出さずに指差し身振りと内なる声だけで十分に機能する.更に年月が経てば,内なる声では不十分になる可能性が高いから,僕はまだ比較的若いといえよう!

指差し確認の有効性については,例えば「指差呼称は有効か?」を参照.

さて,例によって前置きが長くなったが,今回の話題は,過去の自分と現在の自分についてである.

上に述べたのは,数分〜数十分前の自分の行動の記憶のことだが,ここからは10年〜数十年前の自分自身の記憶について述べたい.

よく,人間の身体中の細胞は死滅と生成を繰り返すし,新生はほとんどない脳細胞についても,脳細胞の結合状況(シナプス結合など)が時々刻々変化するのに,個としての一貫した自分があるのはなぜか?——それが科学的に解決すべき課題であると言われる.

が,僕にはいくつか,過去の自分が自分だとは思えないことがある.ここでは,大昔のことと13数年前のことをひとつずつ紹介しよう.

まずは,小学生の頃の自分である.小学生の僕は,頻繁に忘れ物をし,宿題をせず,机の中はぐちゃぐちゃでカビの生えた給食のパンが奥深くに押し込められ,本を読む習慣がなく,小学校6年間で読んだ本は1冊あるかないかであった.10代中盤以降の僕は,忘れ物をせず,宿題をしないことを恥ずかしく思い,物が整理できていないのをきらい,読書家ではないが本を読むのが好きだ.現在の僕には,小学生の自分が自分とは思えない.

比較的最近にも,それが自分だとは思えず信じられないことがある.それが13年前の自分である.

少なくとも4年以内の僕は,電車,カフェなど人々の集う場所でPCキーボードの音を高らかに立てて打鍵している人を大変に嫌っている(それが4年以内であることはノオト「発表会でのマナー違反」に書いた自分の主張から窺える).ところが,である.13年前に知り合った知人Uがよく覚えているそうなのだが,出会った最初の日,僕は(20〜30人の人々が集まっている恐らく静かな部屋の中で)ノートPCを操作していたそうだ.キーボードの音を高らかに立てて! 僕のマナー意識が変化したのだろうが,そのようなマナー違反をしている自分が自分だとは信じられない.知人Uが信頼できる人だから事実として認めざるを得ないだけである.

さてさて・・・

人から言われて,そういうこともあったと思い出せることがある.それは,記憶には残っているということである.何かを忘れていると分かるのは,少なくとも事象の断片や,自分に生じた感情を覚えているからである.行動の記憶そのものはなくとも,自分ならやりそうなことだと思えることもある.それは,今の自分とその当時の自分を結びつける記憶ネットワークが存在するからである.まったく忘れていたら,忘れていることに気づかない.

映画「50回目のファースト・キス」(原題 "50 First Dates") は,人間と記憶について考えさせられる作品である.序章は下ネタがやや多めではじけた雰囲気のコメディーだが,次第に人間について考えさせられ,感動で終わるラブコメディーである.

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