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2012年11月

2012年11月25日 (日)

配置にやられた話→配置の工夫の話→傍受の話

そのカフェはまだ3度目の利用だった.自分の意図しないサイズのコーヒーを頼みそうになった.

最初はテラス席で,2度目はテイクアウトで,3度目もテイクアウト,というわけで,メニューや店についてはまだよく分かっていなかった.

3度目に,危うく自分の意図しないサイズを頼みそうになり,即座に訂正した直後,2度目にはそれに気づかずに,自分のつもりより大きなサイズを頼んでいたことに気づいた.そして,レギュラーなのに大きめでサービスがいいんだなと好意的に考えていたことを思い出し,間抜けでお人好しな自分がおかしくなった.

その間抜けへの誘因は2つある.ひとつは,電子マネー(例:Suica)を頻繁に利用するようになり,自分が支払っている金額を確認しないことが増えたこと,引いてはものの値段を「100円前後」「300円台」など大ざっぱにしか認識しなくなったことである.だから,レギュラーサイズの割には高いなーなどと考える機会を失った.

もうひとつは,メニューの配置にやられたということだ.一般にカフェのメニューは,「Sサイズ・Mサイズ・Lサイズ」や「Short・Tall・Grande」のように,左から右にサイズが大きくなるように書いてあるのが“通例”である.これが通例であって,規則ではないところが重要である.通例を規則と捉えたの先入観が,今回のやられたにつながった.

そのカフェではサイズが2種類で「レギュラーサイズ・Sサイズ」と書かれている.一番左のレギュラーを見た瞬間,最も小さいのはレギュラーと判断し,その右側を見なかったのだ.配置の工夫にやられた.
(僕は,長居するときには小中大の中や大を頼むことがあるが,テイクアウトではまず間違いなく小を頼む.そのような僕の習慣も今回のうっかりに結びついたのだろう.)

配置の工夫で頭に浮かぶのは,銀行ATMタッチパネルの数字の配置である.昨今は暗証番号の盗み見や盗み撮りを警戒するようにとの掲示を見ることが増えてきた.盗み見対策のひとつとして配置の工夫が施されたATMが出て来たのだろう.

たとえタッチパネルまで見えなくても,手や腕の動きを見れば,どの番号を押しているのかだいたい推測することができる.その推測を阻むために,そのATMは時により数字の配置が変更されるのだ.そうすれば,手や腕の動きだけから番号を読み取るのが難しくなる.ただし,配置の変更とはいえ,まったくランダムに配置されるのではなく,

123
456
789

789
456
123

147
258
369

(註:これは実例とは違っているかもしれないイメージ)のような感じで上下や左右の方向が違うだけだから,組み合わせは膨大ではない.しかし,それだけでも不確定さが増すから盗み見で推定するのが困難になり,そこそこ有用だろう.

盗み見といえば,先月(2012年10月)に紹介された記事によると,パソコンの近くにスマートフォンを置き,キーを打つ際の机の振動をモニターするだけで,何を打っているのかを80%程度推定できるそうだ[紹介記事へ].

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耳口王子

Dorm耳口王子・・・・が25年以上前に考えついたこのことばを久しぶりに思い出させてくれたのは,大学で同じ同好会に入っていた友人だ.

あー,そんなことがあったねー.

それは,フォークソングやニューミュージックの弾き語りを楽しみ腕を磨くフォークギター同好会の中で,僕が結成した男性デュオの名称である.

音楽と関わりがありそうな字が使われているから深い意味があるのかと好意的な推理をしてくれる人もいるかもしれないが,それは偶然の産物であり,実は,「聖子」の構成要素をばらして並べたものである.これが僕のいいなずけとか恋人の名前であったならオトナな背景があるのだろうが,当時の僕はまだまだお子さまだった.ファンだと公言していて,仲間の誰もが僕がファンだと知っていた松田聖子である.

学園祭や定期演奏会ではコピーもオリジナルも披露したが,松田聖子のコピーはなかったと記憶している.公私を分けていたということだろうか!?

僕がはじめて買ったLPレコードは八神純子のもの,そして,はじめて買ったシングルレコードが松田聖子のデビュー曲「裸足の季節」だった.
(いや,八神純子のはレコードではなくカセットテープだったかもしれない!?)

松田聖子とは歳が同じで,誕生日が2日違いということもあって,親近感も加わり,僕のこだわり心(≒おたく心?)でもってデビューから4年間くらいはシングルレコード,LPレコード,ポスター,カレンダー,映画と,かなり入れ込んでいた.中学卒業祝いに買ってもらって以来使っていた腕時計の文字盤には,偶然にも「セイコ」と刻印してあった.刻印の“SEIKO”は一般には「セイコー」と読むようだが,僕は「聖子」時計と呼んでいた.

学生寮に住み,朝と夜は寮の食堂,昼は学食,そして日曜の昼は寮の近くの弁当屋,日曜の夜は寮の近くの定食屋,というのがパターンだった(日曜は寮の食事が休みだった).そうそう,寮の夕食のシステムを思い出した.前の月に翌月の食事希望を申し込み,支払いを済ませる.都合に合わせて日にちと朝夕の別を細かく指定できた.夕食についていえば,22時が食事受け取りの限度で,たとえ注文していてもそれを過ぎると無効になる.この時間は厳格である.払い戻しもない.学生にもいろいろと事情があるから,必ずといっていいくらい余りが出る.しかし,最終的には余らないシステムがうまく機能していた.21時45分くらいになると(いや,もっと早い場合も多かっただろう),数人の寮生が食堂にやってくる.目当ては注文主が現われない食事である.さもなければ捨てられる運命の食事だから,時間切れになれば食べてよい.もちろん無料である.注文主が駆け込んできたが既に同朋の手によってテーブルに運ばれた後だった場合や,逆に,22時目前で注文主が現われて,食事を狙っていたキャンセル待ち人がガックリと肩を落とす場面もあった.

脇道が長くなったが,このような質素な生活を,バンカラな雰囲気の残る男子寮で送っていた僕だから,レコードや,本や,映画が,世間の,社会の,あるいは人生の教材だった.寮生は150名ほどで,その9割は,変人か,おたくか,むさ苦しいかのどれかにはあてはまり,そして一部にはすべてにあてはまる学生もいた.そのような環境だから,松田聖子は僕にとっての偶像のマドンナだったのだろう.ただし,マドンナといえば多くの男子がこぞって注目するものだが,僕と同じ趣味の学生は皆無だった.松田聖子をマドンナ視している僕を見て楽しむ同朋は多かったが….
(そのバンカラな雰囲気を伝えるのは難しいが,映画「ダウンタウン・ヒーローズ」を少しだけ現代風にすると近いイメージができあがると思う.現代風にするのは,あくまでも“少しだけ”であることに注意.)

そういえば,その頃僕はレコードプレーヤーを持っていなかった.事前予約しておいたレコードを手に入れると友だちの部屋へ行き,カセットテープにダビングさせてもらった.だから,僕が持っていたレコードは1〜2回しかかけたことのない新品同様だった(そのレコードはすべて,学生寮を出るときに同室だった後輩に置き土産のひとつとしてあげてしまった.そのことをちょっと後悔したこともある….).CD世代にはイメージが湧かないだろうが,レコードは再生するたびに盤の溝がすり減って行く.だからレコードは何度も再生すると雑音が増える.溝をなぞり,そこに刻まれている音を取り出すためのレコード針もすり減るし,埃も影響するから,個人の部屋で再生する場合には雑音は避けられない.

参考までに,150名の寮生がいたが,テレビを持っている者は片手に満たなかったと思う.テレビ,新聞,雑誌などが置いてあり,椅子が10〜15脚ほどとテーブルがある6〜8畳程度の広さの娯楽室がひとつあり,テレビを見たい学生はそこにやって来た.150という人数からすると狭いようだが,十分に足りていた.

以上,近年ではステキな男子のニックネームとしてよく使われる「王子」ということばを,そのようなニュアンスにはまったく無頓着に使っていた自分を少々の照れとともに思い出し,それが呼び水となって当時の回顧の断片を記してみた.

《追記 2012-11-26》写真は上記学生寮のスナップショット(クリックで拡大)である.僕が入っていた頃が築20年ほど,この写真を撮ったのは更に20年強が経過した2010年である.20年強が経ち,より古びて,より雑然としているが,印象としては僕が入っていた頃と大きくは変わっていない.

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2012年11月23日 (金)

コンビニレジのタッチパネル

は「ノオト:インフルエンザ対策!?」に書いたことを今でも継続しているが,自分では潔癖症ではないと思っている.単に,さもなければ手に付けないで済むウィルス類を遠ざけたいと思っているだけである.

そのような僕が最近イヤに思っているのは,コンビニのレジでタッチパネルをタッチさせられることである.

基本は責任問題の回避であろうから,顧客サービスとは別の話かもしれないが,以前はなかったことが増えると面倒に感じてしまうことに加え,できるだけ不特定多数が触るものに触れたくないと思う僕にはイヤなことである.

振り込みの際の確認ボタンはまだいいが,アルコールを購入すると年齢確認ボタンを客にタッチさせるのはどうかと思う.アラハーのこの僕にも,おじいちゃんにも年齢確認タッチさせるのは失礼の一歩手前である.

意地悪な見方をすれば,アルコールを購入したのが未成年であっても,本人がタッチしてそう申告したから店には責任がないということができるシステムである.トラブルの回避には便利なシステムなのだろう.

この年齢確認ボタンよりも更に不条理を感じるのが,Suicaボタンである.

ファミリーマートでは,Suica専用読み取り機が設置されているから,会計時に「スイカで!」と言えば,タッチ,ピッでおしまいでスッキリしているが,(僕の知る限りにおいて)その他のコンビニでは面倒なタッチが追加になる.

「スイカで!」と言ってICカード読み取り台にSuicaを載せると,タッチパネルディスプレイにSuicaボタンが現われる.ボタンはひとつしかなく,そのボタンを押すか押さないかだけの問題である.「スイカで!」と言っているのに,「確認の上タッチをお願いします」と言われてタッチするのは,面倒きわまりない.

ミニストップでは,ファミリーマートと違ってSuica専用読み取り機はないが,Suicaボタンタッチ操作は店員がしてくれる(ことが多い).ミニストップではあっても客にタッチさせる店や,同じ店でも客にタッチさせる店員もいるから,マニュアルで決まっていることではないようだ.
(ひょっとして,実は必ず客にタッチさせなければならないのに,客のためにとルールを曲げて店員の方でタッチしてくれているのだとしたら,僕には最高のサービスではあっても,そのことで責められることになっては申し訳ない.だから,詳細は伏せておくことにする.)

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OpenOffice から LibreOffice へ

※ 以下はすべてMac OS X版についての話である.

Microsoft Officeと同等の機能が“一応”使えればいいと使い始めたOpenOfficeだが,本格的に使うようになって1年ほどが経っただろうか.

Word形式で配付された記入フォームをOpenOffice Writerで開き,記入し,印刷して提出したところ,書類に不備があるとのことで返却されてきたことがある.押印を忘れていたのだ.それもそのはず,Wordで開けばそこにあるはずの印マーク(丸の中に印とある囲み文字)が,Writerでは消えていたのであった.

体裁の乱れは当然のものとしてあきらめたり,Excel 2007形式(拡張子xlsx)ファイルを開くことはできても保存はxls形式にしなければならないことも大した問題ではないと思っていた.

表計算ソフト(Calc)での,グラフのコピー&ペースト不具合にはノオト「OpenOffice Calc:グラフのコピー&ペースト不具合対処法」で乗り切るなどしてきた.
(その後の経験によれば,この対症療法は完全ではなく,必ずうまく行くとは限らないようだ.)

十分に満足してフリーソフトウェアの恩恵に浴してきたが,このような若干の不満も覚えるようになったとき,LibreOfficeの存在を強く意識した.

調べたところ,両者は機能もデザインも同じソフトウェアであるようだ.ワープロ,表計算ソフトなどの名称も同じ(Writer, Calc, ...)で,メニュー構成もまったく(?)同じである.単純に言えばライバル関係にあり,同じ見かけでありながら中身で競っているようだ.

現状ではLibreOfficeの方が若干先を行っているようだ.

グラフのコピー&ペースト不具合の解消も期待して,LibreOfficeを使ってみることにした.1か月ほど前のことである.
(グラフのコピー&ペースト不具合については,それが解消しているかどうか判断できるほどは使い込んでいない.)

OpenOfficeでは体裁が大きく変わってしまったPowerPointファイルの再現性が高いこと,xlsx形式での保存が可能であることなど,今のところ,いいことずくめである.

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2012年11月19日 (月)

木よりも森?

間違いが科学を進歩させることがある.

局所的には正しいが視野の狭い考えよりも,本質を突いた間違いの方が価値が高い場合もある.

このことを実例を用いて興味深く述べているのが,日経サイエンス2012年10月号の記事「ウソから出た大発見」である.

もちろん,間違いの方がいいというのではない.間違いの大半は単なる間違いであり,忘れ去られてしまう.

間違いの中には,間違いだからと無視されずに,間違いを証明するための試みが発見や発展につながった例など,貴重な間違いが,科学の歴史には存在するということである.

ところで,Scientific American誌のオリジナル記事のタイトルは ``The Right Way to Get It Wrong'' である.いつものことながら,インパクトのあるうまい日本語タイトルを付けるものだと感服する.タイトルに拘らずに内容を元にしているところに加えて,「間違い」を「ウソ」と言い換えているところも人を“おやっ”と思わせる.英語タイトル自体に洒落っ気があるから,そのニュアンスを日本語化するのが難しい.Get it wrong は 誤解する,間違えるという意味だから,素朴に日本語化すれば「正しい間違え方」であろう.

※ 間違いと科学については,「ノオト:間違いは失敗じゃない」も参照.

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レッツ,ボウリング!

が子どもの頃,ボウリングは人気スポーツだった.だから,今の若者には考えられないだろうが,テレビをつけると,野球と同じくらいボウリング番組があった(と記憶している).

当時は,ゲームの手続きを終えると,スコアシートと鉛筆を渡された.つまり,スコアは自分で記入するのだ.

今では,スコア付けがコンピューター化されていないボウリング場は皆無に等しいだろうが,当時は自分たちでスコアをつけるのが当たり前だった.

小学生の頃,ボールの投げ方に慣れていない上に,スコアの付け方もまったく知らなかったから,スコアをつけてくれるお兄さんお姉さんがとても頼もしく思えた.初めは,上段に数字やスペアーのマークを記入する手伝いだけだったのが,次第にスコアの付け方を覚えてくると下段にスコアを記入することができるようになり,少し大人になった気がした.

コンピューターシステム導入によるゲームの効率化は,ボウリング場にとって収益性が上がるのはもちろん,客にとっても,スコア付けの面倒から解放される上に,混雑時のゲーム待ち時間が短くなるから歓迎されて当然である.(スコア付けが手作業だった頃は,1ゲームの所要時間が今の倍くらいあったのではないだろうか.)

しかし,ここにも,「ノオト:使いやすいことの弊害!?」で述べた視点から眺めると,手を頭を使う機会が減少する残念さがある.

【補足】ウィキペディア「ボウリング」も参照.なお,そこには,コンピューター化によって,自分でスコアの計算ができる人が増えたと述べられている(2012-11-19現在).確かにそれも納得できる.

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2012年11月17日 (土)

トラブル:iOS 6 とGoogleカレンダー

この症状がいつ表われたのか定かでないのだが,10日ほど前(?)からiOS 6のカレンダーアプリで使用しているGoogleカレンダーで問題が発生している.

簡単に言うと,Googleのメインカレンダーでは何の問題もないのだが,予備カレンダーと共有カレンダーの編集ができないのだ.

それまでは,カレンダーアプリでイベントを開くと,メインカレンダー,予備カレンダー,共有カレンダーのいずれでも,編集ボタンが付いていて,修正や削除ができたのだが,現在は,予備カレンダーと共有カレンダーでは「仮承諾」「欠席」「出席」のボタンしかなく,編集できない.MacのカレンダーやiOS 5のカレンダーアプリではこの問題は発生していない.

Workaroundがないかと試行錯誤したが問題は解消しなかった.

恐らくGoogle側の何らかの変更が理由で不具合が発生したのだと思い様子を見ようと思いつつも,それがの設定に固有の問題なのか,それとも一般的な問題なのかに応じて,ただ待つのか,試行錯誤を続けるのか対応が変わってくるので,時折ウェブ検索してきた.しかし,今日になるまで,同じ症状の記述には巡り会えなかった.

きょう,またふと思い立ってウェブ検索してみたら,やっと同じ問題に関する情報交換に巡りあった.11月7日に始まったやりとりは現在も続いており,同じ問題を訴える声が続々と投稿されている.途中からGoogle開発チームのメンバーも加わり,症状を確認した後に,早急にAppleと対策を協議しますとの発言が書き込まれた.

これで,あれこれ試行錯誤に奮闘することなく,改善されるのを穏やかに待てばよい.2週間程度であれば,今の穏やかな気持ちのままでいられると思う.

【参考:ここで用いた用語に対応する英語】ウェブ検索する際に,日本語では広がっていない情報が英語では既に広がっていて,英語での情報交換(discussion)を見ることで早めに目的の情報にたどり着けることがある.今回もそうだった.そこで参考までに,上で用いた用語の和英対照を記しておく.ただし,これはあくまでも,GoogleやAppleが言語対応をとる際に用いている対応であるから,単語として直接に対応しているとは限らないことに注意して欲しい.
・メインカレンダー ⇔ primary calendar
・予備カレンダー ⇔ secondary calendar
・共有カレンダー ⇔ shared calendar
・出席/欠席/仮承諾 ⇔ accept/decline/maybe
・編集 ⇔ edit

《追記:2013-01-11》2週間程度であれば待てると書いたが,実際には1か月半ほど穏やかな気持ちのまま待つことができた.数日前に確認したところ,正常に戻っていた.上述の情報交換ページでも,正常に戻ったとの報告が投稿され始めている.僕の場合で言えば,障害発生以前に作成したイベント(スケジュール)には問題が残っているが,最近追加したイベントは正常に戻っている.

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20の質問

「ノオト:人間のタイプ」の中で次のことを述べた.27の観点を設け,その一つ一つにあてはまるかどうか(はい/いいえ)の組み合わせを考えれば,日本の人口に相当する1億3千万種類の分類が可能であると.

もちろん,実際に人間のタイプ分けをしようとすると,同じ観点に多くの人の「はい」または「いいえ」が集中することがあるから,観点は綿密に考えて設定しなければならない.その上,いくら綿密に考えても適切な観点を見つけるのは難しいから,27ではまったく足りないだろう.

このようなことを考えていたら,2005年の冬に購入し,しばらくは人に見せるなどして楽しんでいたが,久しく手に取っていないおもちゃを思い出した.

それは,バンダイの20Qである.大福を一回り大きくしたような形で,手でギュッと握れるサイズである.
(通販サイトAmazonへのリンクはこちら / このAmazonの商品紹介ページにアクセスしてみたら,何と,が2005年9月28日にこれを注文したことが自動的に表示された! 発売は11月だから,いち早く商品を手にしようと予約受け付け開始後すぐに申し込んだのだろう.)

遊び方はこうだ.まず,プレイヤーは頭の中でものを思い浮かべる.ねこ,ダイヤモンド,カレーライスなど,一般的なものであれば何でもいい.20Qは「はい/いいえ」で答えられる質問を20聞いてくる.それに答えていくと,最後に20Qが,プレイヤーが頭に思い浮かべているものを推理して答えてくる.
(「はい/いいえ」で答えられる質問ばかりだが,どちらか迷う場合や,プレイヤーの知らない観点での質問の可能性もあることに配慮して「ときどき」「わからない」も選べるようになっている / ウィキペディア「20Q」も参照)

2005年のあるとき,知人から面白いWeb頁があると聞き,アクセスしてみた.後から考えると,それが20Q商品化のためのデータ収集頁だったようだ.

買ってしばらくは,よく持ち歩き,人が驚いたり楽しんだりするのを見て僕も楽しんでいた.あるとき,人工知能や脳科学の研究者が集まる集会に持って行き,昼食時に見せたらとても楽しんでもらえたのを覚えている.

僕が試した中で印象深いのは,カラオケを当てられたときである.ねこやカレーライスなら当てられて当然とも思うが,カラオケという,一般語の中では比較的抽象的なものがズバリ当てられたのには驚いた.

さて,冒頭の「人間のタイプ」のところで述べたこととの関連でひとつコメントしておこう.

この20Qは,基本的に「はい/いいえ」で答えるから,20問に対する「はい/いいえ」で
 220 = 1,048,576
の分類ができる.日常普通に使う単語ならすべてが簡単に納まる数だ.

とはいえ,あらゆるものを固定の20問で分類するのは現実的に難しい.かといって20より多いと時間がかかりすぎてプレイヤーが飽きてしまう(瞬発性のあるゲームではないから,人によっては20問でも飽きてしまうだろう).そこで考えられるのは,質問の種類自体は20よりも多く用意しておいて,プレイヤーの回答に応じて質問を選び直す方法である.

20Qは,元来アメリカのラジオおよびテレビ番組だったようで(ウィキペディア「二十の質問」),日本でも「二十の扉」というラジオ番組が放送され人気だったそうだ.そこでは,人間が推理しながら,答えを探るための質問を考える.途中経過で答えが絞り込める場合もあるだろう,一方で,全然絞り込めないから質問の系統を変えてみようと思うこともあるだろう.その人間の行なう思考法が20Qには実装されているのだ.

20Qを最初に手にして以来7年が経った.久しぶりに電源を入れて遊んでみようか.20Qを知らない人も多いだろうから,また反応を楽しんでみようか.

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2012年11月16日 (金)

人間のタイプ

Rain十人十色[註]というように,人はそれぞれである.

この10という数字は,ことばの響きのよさ,耳馴染みのよさという意味合いも強いのだろうが,画像の色表現の観点からもちょうどいい.

実際には,十人十色どころか,百人百色,いや千人千色,いやいや1万人1万色,いやいやいやそれ以上だが,10という,そこそこ多数で,かといって少なすぎない数で多数を代表させているあたりが統計学的にもちょうどいい.

統計学ばかりでなく,デジタル画像の色表現の観点からもちょうどいい.
千色はおろか,百色でも,人間には区別が容易ではないかあらである.

さて,ここでの本題は人間についてである.

漫才ではボケとツッコミというが,人間には,ボケてツッコまれることをよろこぶタイプと,ボケにツッコミを入れることによろこびを見出すタイプがある.

集団行動を好むタイプと単独行動を好むタイプ,直感を信じるタイプと分析を重んじるタイプ,などなど,さまざまなタイプ分けができる.

例えば2種類のタイプ分けの観点が10個あれば,それだけで
 210 (2の10乗)
  = 2×2×2×2×2×2×2×2×2×2
  = 1,024種類
に分けることができる.因みに,日本の人口約1億3千万をタイプ分けするのにいくつの観点が必要かといえば,もしもさまざまなタイプがまんべんなくいるとすると,
 log2 130,000,000 = 26.95...
であるから,27種類の観点があれば十分である.

さてさて,先日,雨の降る日に,この種のタイプ分けに使えそうな観点を見つけた.
それは,雨にぬれてイヤな顔をする人と,雨にぬれてニコニコする人である.

同じ仕事をする女性たちが,雨の中を軒下から軒下へ走り抜けていた.軒と軒の間隔はほんの数十センチだから,ほとんど濡れはしない.その状況でも,すごくイヤそうな顔で走り抜ける人と,雨にぬれることでかえってよろこぶようにニコニコする人がいた.

雨にぬれることに関して,はどっちだろうと考えた.中立的な表情をしつつも,内心ではニコニコしているのではないかと思う.

[註]十人十色と言ったり書いたりすると,むかし流行った大江千里の歌の歌詞「じゅーうにん,とーいろッ♪」が頭の中で響いてしまう.先日テレビで見て知ったのだが,大江千里は今,シンガーソングライターからジャズピアニストに転向しているそうで,アメリカでも活躍しているそうだ.音楽という意味では同じ世界だが,別の道を歩む決断をして,そして目標を達成するのはすごいことだと思う.

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2012年11月 6日 (火)

つぶやき:きょうようかもく

大学の授業科目には主に2つの観点から分類がある.

1つ目は,それが卒業に必ず求められる科目なのか,それとも本人の興味と都合に応じて履修する科目なのか.

そして2つ目は,それが大学生として一般的に身につけるべき科目なのか,それとも専攻分野独自の専門的な科目なのか.

1つ目の観点での分類は,必修科目と選択科目である.

そして2つ目の観点では,教養科目と専門科目に分類される.

この「教養科目(きょうようかもく)」が,もしも「強要科目」だったら,それは必修科目に分類されるのだろうか,などと考えてしまうは,不惑の年齢を10年過ぎても,まだ悩み多き毎日である.

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過度な詫びは考えもの

あまのじゃくだから,扉に「押」と書いてあると引いてみたくなる.これは単にあまのじゃくなだけではなく,さまざまな可能性を試してみたくなる探究心ゆえのことでもある.事実,「押」と書いてあっても,引いて開く扉が3割くらいはある・・・と漠然と認識している.

「○○しないで下さい」と書いてあると○○したくなるのも,単にへそ曲がりなだけでなく,○○しないで欲しい理由はどこにあるのだろう,○○するとどうなるから「しないで下さい」と言うのだろう,○○しても害はないんじゃないか,などと,これも,確認したい症候群の僕だからである.

このような僕だからこそ,研究者のはしくれでいられるのだと思っている.

さて,ここまでの話との接点はビミョーだが,最近耳にしたJR駅のアナウンスに違和感を覚えた.それは,人身事故による列車運転見合わせおよび遅延に関してのアナウンスで,「心からお詫び申し上げます」とあったことだ.

鉄道の人身事故は,ほぼ例外なく事故に遭った側に責任があるだろうからである.

利用者に迷惑をかけて申し訳ない気持ちが「心から・・・」のことばになったのだとは思うが,過度な詫びはあまり気持ちのいいものではない.これが僕の素直な気持ちだ.

とはいえ,JR側の気持ちになれば,次のような理由で納得できる部分もある.
・自然災害で遅れや運休が出た場合でも,駅員に文句を言って憂さ晴らしをする客がいるから,そういう種類の客の気持ちをなだめたい.
・人身事故を防止する方策に足りない部分があったかもしれないと反省している.

“お詫び”をすんなり受け入れられない僕をへそ曲がりだと思う人も多いだろうが,きっと理解してくれる人もいるに違いない!?

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