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2012年6月

2012年6月25日 (月)

ある菓子パンとの出会い

Zakuzakusoftbreadあまのじゃくを自認するは,宣伝文句に踊らされることが少ない.より正確に言えば,宣伝文句に踊らされないよう,できるだけ懐疑的に捉えるようにしている.

だから,「売れてます」とか,「全米が泣いた」とか,「20万部突破」という宣伝には,それを初めて考案した人を凄いと思うし尊敬するが,売る側の誘導に乗らないように(一方的に負けないように)努力している.

このような考え方は,疲れる,楽しくないと思う人もいるだろう.しかし,僕にとっては,それが喜びで,楽しいのだから仕方がない.それが,あまのじゃくの所以である.

さて,このような僕だが,最近,販売戦略に乗せられ,しかし,乗せられても悔しくはなく,素直に負けを認めてハマってしまった菓子パンがある.それは・・・

とっておき宣言
ザクザククッキー&クリームパン
口当たりまろやかなクリームパンにクッキーをのせました
(145円,山崎パン)

である(写真参照;クリックで拡大).

元々,そして今でも,よく,昼食の一品として甘い菓子パンを食べる.だから,新製品を目にすると,それを手に取ることが多い.

このパンが,あるコンビニのパンの棚の最上段(だったか,2段目だったか)にずらりと,差し渡し5列以上にわたって並べられていた.

クリームパンの柔らかさとクッキーのザクザク感が,これまでの菓子パンにはなかった,美味しいだけでなく楽しい味わいをもたらすのだ.

最後に,これを幾度か食べてみて分かったことを述べて〆にしたい.

それは,買ってすぐに食べた方が美味しいということ.これまでの菓子パンは,賞味期限内なら数日置いてから食べても,すぐに食べるのと美味しさに大差はなかったが,このパンの場合は,数日置いておくとザクザククッキーのザクザク感が減弱してサクサクになってしまうのだ.ただし,パンの名誉のために加えておくと,数日置いたパンであっても,はじめて食べる人は,そのサクサク感と軟らかいクリームパンのコンビネーションに感動するだろう.

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2012年6月19日 (火)

「メールのマナー:転送編」への補足

ノオト「メールのマナー:転送編」の最後部に追記しました.

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2012年6月16日 (土)

メールのマナー:転送編

※注意:前置きが長いです.すぐに本題を読みたい方は【本題はここから】へ進んでください.

はインターネットを,自分の利益になるように最大限に活用している.そして大変に頼りにしている.

が,同時に,自分が使う部分と使わない部分をキッチリと分けている.

使わないのは掲示板SNS(Social Networking Service)である.

インターネット検索をすると,掲示板の情報も数多くヒットするが,掲示板の情報はできる限りクリックしないようにしている.なぜかというと,掲示板の書き込みには役立つものもあるのだが,かなりの頻度で不快な気持ちになる表現を目にしてしまうからだ.そのような表現を読んでしまい,嫌な気持ちになるのを恐れて,見ないようにしている.およそ実生活では他者に向けて使うとは思えない,無礼な,あるいは嘲るような表現が,掲示板には出現する.実生活でもそのような表現をしている人ならば,まだいい.しかし,掲示板という世界だけでそのような表現をしているのだろうと想像し,人をそうさせる環境に入り込みたくないからだ.

SNSの代表格はFacebookであろう.SNSに対して漠然とした拒否反応を抱いていた僕は,SNSなるものの経験がまったくなかった.しかし,経験なしで云々するのはよくない,また,広く見れば情報系の仕事に携わっている者として,まったく知らないのも,人の話を理解する上で問題かもしれない.それに,食わず嫌いだとしたら,便利なツールを使っていなかったことを後悔するかもしれない,などと考え,数ヶ月前に思い切ってFacebookにユーザー登録してみた.そして,Facebookで何ができるのか,どのような設定が可能なのか,人々はどのように使っているのか,どのような情報がどのような形で表示されるのか,自分に合った使い道はあるか,などと,細部にわたり徹底的に,約24時間,寝るのも忘れて隅々まで使ってみた.

その結果,使い続けるのは止めにした.すぐにユーザー登録を解除した.そしてその後,ユーザー登録の削除を申請した.

止めた理由を簡潔に述べるのは難しい.それは,客観的説明ができる部分と,主観や感情に関わる部分が混在しているからである.ひとつ,比較的客観的な説明が可能なのは次の点である.それは,僕は,普段から相手や自分の立場や場面に応じて,自分の表現をきっちり使い分け,そして見聞きする内容を選択し自ら制限しているから,そのやり方をFacebookの中で実現することができないと判断したのである.

例によって(?)前置きが長くなったが(^_^;),上に述べたことは,ここからの本題に関する僕の考えを理解する助けになるだろうから,無駄話ではないと思っていただきたい.

このような僕は,メールに関しても少なからぬ持論がある(例「ノオト:メイルと気配り」).

ここではメールの転送について述べよう.

【本題はここから】

あるグループで始まった議論をそのグループ外の人(々)に転送することはマナー違反だと思う.あるグループの議論の途中で新たな宛先を追加することも,である.

最近はメール会議なることばもあるように,会議室に集合せずにメールでの議論で結論を出すことも多々ある.その場合,引用が引用され,それがまた引用される,というように,議論の経過がすべて残る.メールする際には,多かれ少なかれ,議論のメンバーの顔を思い浮かべつつメールを書いているはずである.つまり,そのメンバー向けの表現,説明,意見を述べているはずである.だから,そのメールはメンバー外には転送しないのがルールである.もしも,是非メンバー外の人にも議論に加わってもらいたいというのであれば,その時点での議論を整理し,自分のことばでまとめなおしたものを用いて議論を再スタートすべきである.その人が入っていたなら表現を変えていたのに,ということがあるからである.(自分のことばでまとめ直すのは面倒だし,今までのメールを使えば詳細な情報がもれなく載っている.だから,転送はお手軽な手段であり,ついそれに頼ってしまう心理を理解することはできる.が,それは僕の基準からするとマナー違反である.)

個人宛のメールを大勢に転送するのも同様だ.もしも議論のメンバー全員に向けてのメッセージであれば,最初からそうしている.それをそうせずに,例えばリーダーにのみメールを出しているのは,リーダーの意向や状況判断を確認した上で考えを整理し,必要に応じてメンバー全員に出そうという場合や,あるいは,メンバー全員をメールで邪魔せずとも,リーダー単独の判断で進められそうな提案の場合であろう.

僕がこのような転送を問題にしているのは,文章内容そのものは,当初の当事者外に転送されても何ら支障はなくとも,表現の違いのために,与える印象が変わってくるだろうからである.言語情報(文章内容)以外の非言語情報の影響力を重要視している僕だから,この点には気を遣う.

参考書:「人は見た目が9割」,通販サイトAmazonへのリンクはこちら.ここでいう「見た目」とは,非言語情報のことである.一般には,人と面と向かって話す際について,声の調子,話し方,表情,ジェスチャーなど,言語内容以外を指して非言語情報というが,メールにあてはめれば,言葉づかい,句読点の使い方,改行のしかたなどが非言語情報といえるだろう.もちろん絵文字,顔文字も非言語情報だが,仕事のメールでは現在のところそれらを使わないのが暗黙のルールになっている!?

この転送問題に対する自衛策としては,いつ予期せずにメールが転送されても構わないように書くこと.あるいは,「本メールは私信.転送無用」と明記すること(→これはうっかり見逃される可能性があるから,実用的ではなさそうだ).あるいはまた,転送されたくない内容は電話や対面にするということになるだろう.

《追記:2012-06-19》僕自身は,メールをそのまま転送することはないと言っていい.必ず,メールの用件と要点を引用してメールを作成する.よく,受け取ったメールのToとCcアドレスをすべて含めて転送する人がいるが,僕は,少なくとも,そのようなことは決してしない.

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2012年6月14日 (木)

厳しいだけじゃない

映画「幸せの教室」(原題 Larry Crowne)は,にとってさまざまな点で楽しめた映画だ.

それらの点を順不同で挙げると・・・

まずは,邦題の上手さである.文化的な背景を知らない者には,主人公の名前だけのタイトルでは映画の内容どころかジャンルさえ推察することができない.だからこの映画の場合適切な邦題は必須だが,この邦題は特に上手いと思う.まさに,簡にして要を得た表現だ.

次は,アメリカの大学の一端が見えたことである.フィクションとはいえ,現実にありそうなことが描かれているだろう.さまざまな学生,教師によるやり方の違い,授業の人気のあるなし,教師の悩み,学生と教師のやりとり.さらには大学経営に関わる描写など,僕の日常と対比して,思いを巡らした.
(これだけを書くと,この映画が学生の大学生活を描いたもののように誤解されかねないが,そうではない.人生を生き,悩む50代の男性が勤め先を解雇され,人生の再スタートのために大学で学び,そこで出会った教師や学生との交流を描いたオトナ目線の映画である.)

最後は,いい表現に巡りあえたことである.これも直前に書いた大学教師としての僕の視点に関連することだが,大学という社会だけでなく,より広い場面にあてはまるだろう.

その表現は "tough but fair" である.映画の字幕では「厳しいが公平」と訳されていた(と思う).
公平には,教師が複数の学生を平等に扱う,あるいは,上司が複数の部下を平等に扱うという意味があるから,この訳は適切だと思う.しかし,僕はこの語義を少々拡大解釈して,学生に対する教師の態度が適性である,あるいは,部下に対する上司の態度が適性であるという意味もあるように思うから,「厳しいが公正」という訳もあり得ると思う.更に意訳して「厳しいが誠実」と捉えてもいいと思っている.

大学教師として22年目の僕が,その当初から掲げているキャッチフレーズは,「指導はやさしく,評価は厳しく」(*註)である."Tough but fair" は,少々観点が異なるものの,このキャッチフレーズに通じる部分があると思う.だからこそ,その表現が僕の心に響いたのだろう.

(*註) 「やさしさ」は時代と共に大きく変わる.ここでいうやさしさは,僕の世代にとってのやさしさである.即ち,そのやさしさを受けることによって,今は辛くて傷つくかもしれないが,将来を思ってのやさしさである.(ノオト「不親切という優しさ」も参照)

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2012年6月 5日 (火)

これもマナーモード!?

携帯電話をマナーモードにしても,まったく音が出ないわけではない.振動モーター(バイブレーション)の音が鳴る.

そしてむしろ,マナーモードの場合,着信を振動で知るよりも,振動音で気づくことの方が多いかもしれない.

そこで,マナーモード着信音を作ってみた.着信音を鳴らしているのに,マナーモードにしているように聞こえる矛盾が,あまのじゃく的で面白いと思ったからだ.

〈ダウンロードするには,ここを右クリックしてファイルに保存して下さい.〉

この着信音は次のようにして作成した.

  1. 携帯電話を机に置き,マナーモードで着信中の振動音をiPhoneの標準アプリ“ボイスメモ”で録音する.
  2. 録音したボイスメモを選択し,メール添付でパソコンアドレスに送信する(必要に応じて事前にボイスメモの機能「メモをトリミング」で余計な部分を省いておく).
  3. パソコンでメールを受信したら,添付ファイル(ボイスメモ)を保存する.
  4. 保存した音声ファイルは「〜.m4a」というファイル名になっているので,m4aをm4rに変更する(簡単に言えば,拡張子をm4rに変更する).

これをiPhoneの着信音リストに追加するには,iTunesを起動し,「ライブラリに追加」して,同期すればよい.

このマナーモード着信音の実生活での有効性については,まだ確認していない.期待に添わない場合には悪しからず!
(そう遠くないうちに,自身,有効性の検証をしてみたいとは思っている.)

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