« 2011年1月 | トップページ | 2011年3月 »

2011年2月

2011年2月28日 (月)

商店街のお店(続)

僕が感謝した商店街のお店が閉店していた.

残念だが,もっと頻繁に利用しなかったにも責任の一端がある.

とはいえ,僕ひとりの責任ではないのも確かだ.たとえ僕が毎日買い物に行っていたとしても,その店を支えることはできなかった.

気に入っていた店,気に入っていたサービス,気に入っていたメニュー,気に入っていた商品,気に入っていた番組,その他諸々の気に入っていたものがなくなってしまうのは残念なことだが,仕方がないとあきらめるしかない.

お客は気まぐれなものだが,その気まぐれゆえに,気に入っていたものが復活することだってある.

| | トラックバック (0)

2011年2月21日 (月)

語感の辞典

Gokannojiten最近,書店で見つけ,このような考え方でその場で購入したのが,中村明著「日本語 語感の辞典」(岩波書店) (通販サイトAmazonへのリンクはこちら) である.

まえがきにある以下の記述を読んで,この辞典を購入してよかったと思った.
「ことばが運ぶのは、伝えようとする情報だけではない。《中略》人間性が相手に否応なく伝わってしまう。」
「適切という一事を離れて、万能のすぐれた表現などというものは存在しない。」

| | トラックバック (0)

書店で本を買うということ

大学に勤務する者の恩恵の一つに大学生協がある.にとって最大の恩恵は本が1割引で購入できることである.

サービスにインターネットが欠かせない現代,大学生協もWeb注文を受け付けているから,欲しいと思ったらいつでもどこでも注文ができる.

だから,出先でふらりと入った書店でいい本を見つけても,大学生協なら1割引で買えること,そしてそこで買うと荷物になることを考えると,帰りの電車でWeb発注というのがパターンだった.(大学生協ではなくても,荷物になるというだけでAmazonで発注することもある.)

しかし,かねてから現代日本の購買指向「安く買えればそれでいい(*)」に疑問を感じていた僕に,書店のサービスを買うという考えが芽生えてきた.

(*) もちろん僕も安く買えた方がうれしいし,わけもなくただ高いものを買うことはしない.が,それが安く買える理由を想像したときに,市場の構造に疑問を感じることがある.

その本と僕の出会いを提供してくれたサービスを買おうという発想だ.つまり,その本を発注し,店内に配置するという労力があり,その結果その本が並んでいたから僕が出会えたので,その手間の対価ということだ.

そのようにして購入した書籍について書こうと思い,その前置きとして書いたのだが,前置きが長くなり過ぎたので,項目を改めることにしよう(^_^;)

| | トラックバック (0)

2011年2月20日 (日)

ダジャレ・アーカイブズ:ビタミンC

ダジャレ・アーカイブズビタミンCを追加.

| | トラックバック (0)

2011年2月19日 (土)

あまのじゃく再考(続)

あまのじゃく再考で取り上げた本(中島義道『私の嫌いな10の言葉』)をひと通り読んだ.

読み始めは,著者の発想や行動の過激さが目立ってやや引き気味だったが,その論調そのものが落ち着いてきたためか,あるいは単に僕が慣れてきたせいか,次第に読みやすくなり,著者の主張がいちいち納得できるようになっていった.
・・・・とは言っても,そしてと目指す方向が似ているとは言っても,僕が「やや変人」だとしたら「チョー変人」な著者の行動には「センパイ,そこまでやりますか!」とつぶやいてしまうことが多々あったが・・・・.

結論として,この本は,あまのじゃくを自認するしないに関わらず,次のような人にお薦めの一冊である.
●“常識的”にはお世辞を言えばいい状況なのにそれが言えなくて,自分に嘘をつかない表現を探す間(ま)のために会話のリズムを崩してしまいがちの人.
●率直な感想を述べたら「挙げ足取りだな〜」と言われ,その場では少々落ち込んだりするが,自分の見解は正しいと思うことがある人.
●自分の気持ちに正直に振舞いたいが,本当に正直に振舞ってしまったら周囲にどんな仕打ちを受けるのか怖くてできない人.
●その他,子供っぽい,へそ曲がり,世間知らず,素直じゃないなどと人に言われることがあるが,それが自己評価とはまったく異なる人.

| | トラックバック (0)

2011年2月 9日 (水)

ウナギの卵---あまのじゃく的雑感

史上初めてウナギの卵を採取するという快挙がメディアを席巻したのは先週のことである.
ニュースもワイドショーもこぞって取り上げていた.

テレビで断片的に紹介された映像で研究者自身が説明していたスライドを見ただけだが,数十年にわたって日本列島から太平洋を南下し,成魚から稚魚,そして卵へとたどり着く過程は,サスペンスドラマで犯人が追いつめられるワクワク感に通じる研究(探求)の醍醐味を感じた.

もちろん,快挙を達成した今となっては懐かしい苦労話になるであろう数知れぬ失敗や地道な試行錯誤があったはずだから,研究者のはしくれのも成功を讃えたい.

しかし,である.

これで美味いウナギがいつまでも食べられるようになるでしょう,というような内容の発言には違和感を覚えた.

マスコミが言うのならともかく,プロジェクト・リーダーである研究者の発言だからだ.

僕はあまのじゃくだから,基本的に何が起こってももヘッチャラである(ヘッチャラを装っている).
だから,自分の大好物が食べられない状況になったとしても,やせ我慢かもしれないがヘッチャラなのである.
現に,30年ほど前まで僕の大好物だったすっぱい夏みかん(砂糖を付けて食べてちょうどいいくらいにすっぱい夏みかん)が市場に出回らなくなり,食べる機会がなくなって残念だが,それはしかたないとあきらめている.
毎日食べ続けても最低1か月は楽しめると確信しているカレーライスが食べられなくなっても,寂しくはあるがそれはそれで仕方ないと思える・・・と思う.

そんな僕だから,その研究者には,ウナギの完全養殖につながるかどうかは知らないが,ただ知りたかったのだと言ってほしかった.

とはいえ,マスコミの報道では真実がそのまま伝わることはまずない.
編集の魔術で,発言者の見解はいかようにも操作できる.

あるいは,その研究者も,「鰻の蒲焼きが食べられなくてもいいって〜!そんな日本人がいるなんて信じられな〜い!だから大学の研究者は世間の気持ちが分からないんだ!そんな研究に我々の血税が使われていると思うと腹が立つっ!」という納税者感情を引き起こさないように配慮してのことかもしれない.変人だとは思われたくないから,世間の人が考えるであろうことを述べて無難にやり過ごそうとしたのかもしれない.

と,推定ばかりで書いてしまったから,ひょっとするとウナギが大の好物で鰻の蒲焼きのない土用の丑の日など想像できない,日本がそんな事態に陥ったらもう生きてる意味がない,だからウナギの卵を見つけたかったんだ,というのがその研究者の本音だとしたら,それはそれでブラボー!と言いたい.

| | トラックバック (0)

« 2011年1月 | トップページ | 2011年3月 »