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2010年11月15日 (月)

遊びの大切さ

よく、遊びが大切だというが、それは、基本的にはコツコツと真面目に取り組む中で、“時には”遊びがないと萎縮してしまう(発想が膨らまない)ということだ.

余裕やゆとりのことを遊びという.

自動車のハンドル,引戸や扉の立て付け,ネジ,などなど,ゆとりがないと機能しないものが沢山ある・・・というより,ほとんどはそうだ.

自動車のハンドルを少々動かしても自動車は曲がらないから,人間の(厳密にいえば)不安定なハンドル操作でも自動車が安定して走行する(実のところ,自動車はそのように設計されている).また,ネジがネジ穴に入るのはすき間があるからであって,ネジとネジ穴がピッタリきつくなっていてら,ネジとして機能しない.

あらゆるモノは、(寸法上の)ゆとりがあるから機能するのである.

さて,この歳になったにはお恥ずかしいのだが,この,ゆとりの意味の「遊び」も英語で play ということを,最近になって辞書で引いて知った.

さてさて,最近,この遊びが重要な例,遊びがあるゆえに助けられている例にはたと気付いた.

それは,ボトルのプッシュ式のシャンプー(やリンスやボディーソープ)である.

シャンプーが最後まで完全に使い切れる構造をしていたらどうだろう?

浴室でシャンプーを使おうと思ってプッシュ式ポンプを押してズズッと音がして初めてシャンプーが切れているのに気付いたら,詰め替えのシャンプーを補充するためにいったん浴室を出るか,誰かを呼ばなければならない.

それが,(意図的にか偶然にかは不明だが)現実には最後の一滴までは吸い上げられない構造をしているから,ズズッ,ブシュブシュっと音がしても,ボトルを逆さまにすれば1~2回は使えるために,ほとんどなくなったことに気付いても,浴室を出たり,誰かを呼ぶ必要がない.

よくこのような状況に遭遇するから,ふと,このようなことを考えた.

これについて更に一歩考察を進めてみれば,昔はプッシュ式ではなく,手で持ち上げて側面を押す方式が一般的だったから,使用するたびに(無意識に)手に感じる重さで減りを感じられたが,プッシュ式になり、そのような感覚を使う必要がなくなった.これにより、動物としての人間の感覚も麻痺してゆくのかもしれない.

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