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2010年7月

2010年7月24日 (土)

やられた!?

Youngoldhfy

僕がハイブリッド・イメージを知ったのは2009年2月のことだった.

その後,ゆっくりとではあるが,基礎的,趣味的,あるいは応用的な考察や試作をしてきた.

が頻繁にチェックしているウェブサイトに最近紹介された画像にやられた!と思った.

付けられたコメントの評判もいいその画像は,1年以上前に知人Jが試作して僕に見せてくれた画像中の日本語を英語に翻訳しただけと言っても過言ではないものなのだ(@_@)

一般に,どんな奇抜なアイデアでも,素敵なひらめきでも,それを思いついたのが自分ひとりである可能性はほぼゼロである.過去から現在の世界のどこかに,大勢の人々がそれを思いついているものだ.

また,思いつきは発見でもないし成功でもない.発見のためには思いつきを立証しなければならない.成功のためには思いつきを形にしなければならない.

思いついた人の希望が,思いついたことそれ自体による充実感でいいのならそれで完結する.

しかし,それを人々に伝えて喜んでもらいたい,発見したい,あるいは成功したいのであれば,それを大事に育てていかなければならない.

何かを思いつく人は多いから,その時点では大海の一滴に過ぎないが,大事に育て続ける人は少ないから,思い続けて一歩ずつ進んでいけば数少ない達成者になれるかもしれない.

《追記:2010-07-29》上の写真について.上の写真はクリックで拡大する.元の写真と拡大された写真には別の顔が見えると思う(元の写真は子ども,拡大写真は大人).しかし写真は同一である.別の楽しみ方として,拡大した写真を携帯電話のカメラで見る方法がある.肉眼で見ると大人なのに,携帯電話のカメラで見ると子どもに見える.携帯電話のカメラで見る代わりに,遠〜く離れて見ても同様の効果が現われる.

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2010年7月14日 (水)

思いつき♪

Omoitukiノオト「様子の言葉」で紹介した書籍「ようすのことば」との出会いは10年以上前のことだ.

最近,様子の言葉の要素と,言葉の辞典の要素を合わせ持った絵本に出会った.

それは 100% ORANGE 編「思いつき大百科辞典」である(引用情報欄を参照;通販サイトAmazonへのリンクはこちら).

「ようすのことば」がほのぼの感に満ちているのに対し,「思いつき大百科辞典」は辛辣なユーモアも込められているように感じる.

各ページに五十音の各仮名が割り当てられ,その仮名で始まることばに挿絵が添えられている(ページの見栄えはこちら).

例えば「な」のページには,“なすび”“ながれる”“なやむ”“ない”などがある.ことばの選択そのものが面白い上に,それに対応する絵がいい味を出している.

加えて,作りが徹底しているのもいい.清音の仮名(「か」「は」など)だけでなく,濁音(「が」「ば」など)や半濁音(「ぱ」など)も網羅されている.

時折ながめては日本語を味わいつつインスピレーションを膨らませるのに好適な絵本である.

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2010年7月13日 (火)

ダジャレアーカイブズ:和菓子

ダジャレ・アーカイブズに「和菓子」を追加.

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算数と野菜にかかわる不思議(続々)

Yasaiノオト「算数と野菜にかかわる不思議」と「算数と野菜にかかわる不思議(続)」で紹介したにんじんに関連する続報である.

コールドリーディングについて書かれている「なぜ、占い師は信用されるのか?」石井裕之著 (フォレスト出版,2005年初版)を眺めていたら,コールドリーディングの実践テクニックとして「パッと思いつくもの」が紹介されており,その中に「野菜と言われてパッと思いつくのは → にんじん」と書かれていた.

パッと思いつくものというのは,余計な思考が働かなければ思いつくものという意味だから,その本の考え方に従えば,先の《ノオト》で述べた計算には本質的な意味はないことになる.思考を野菜から遠ざけて,できるだけ頭を白紙に近づけるための手段として計算を利用しているという考え方になる.

この辺りのことは,この不思議の解明の今後の考察に活かしていきたいところだが,その本では他にも多数のパッと思いつくものが紹介されている.それらすべてをここで紹介することは営業妨害になるだろうから,ひとつだけ紹介させてもらうと,「ヨーロッパの国と言われてパッと思いつくのは → イタリア」だそうだ.

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2010年7月11日 (日)

写真の撮り方

Noodle2010summer中学生の頃に一眼レフカメラで写真を撮り始めただから,カメラ歴は30年を超えている.

その一眼レフカメラ(アサヒペンタックスSPII → これが僕のペンタックス)は,露出計こそ内蔵されてはいたものの,ピント,絞り,シャッター速度をマニュアル操作で設定する,オートマチックとは無縁のカメラだったから,今思えば大変に勉強になった.

ピント,絞り,シャッター速度の3要素に加えて,フィルム選択,照明設定と,まさに無限の組み合わせからどの設定を選ぶとどのような写真になるのか,その試行錯誤を通じて,我知らず光の科学の実践的な勉強をしていたように思う.
(アマチュアの僕が知る範囲でもう少し加えれば,フィルムの現像のしかた,印画紙への焼き付けのしかたによっても写真は大いに異なってくる.)

さて,今回の話題は写真の撮り方についてである.

そういう訳で,僕はこれまで,銀塩フィルムを使ったアナログ写真もデジタル写真も,膨大な枚数を撮ってきたが,想い出の写真としてみた場合に,その記念写真感,あるいは生き生き感,突きつめていえばオリジナル感(自分写真感)が感じられずに残念なことがある.

特にそれが風景や町並みだったりすると,ガイドブックに載っている(載っていそうな),けどガイドブックよりも下手に撮り直した写真に過ぎなかったりして,わざわざ自分で撮る必要がなかったんじゃないかと残念に思うことがある.

オリジナル感を出すためには2つの方法がある.
(1) ガイドブックにない被写体,アングルで撮る.
(2) 自分自身が入った写真にする.

知人Bなどはアマチュアながらも(1)の方法で上手な写真を撮るから,感心するととも参考にさせてもらっているが,そのようなセンスは一朝一夕に身につくものではないから,僕は主に(2)の方法を用いてきた.

しかし,自分が入るには誰かにシャッターを頼んだり,セルフタイマーを使う必要があるから限界がある.

長年ぼんやりとそのようなことを考えていたある日,テレビ番組で自分の撮った写真を披露する鈴木京香を見た.

司会者からは相当に風変わりな撮影方法だとイジられ続けていたが,僕の心の琴線には強く触れ,感心しっぱなしだった.

その方法は,自分の手,自分の車のミラー,料理中ならお玉など,ことごとく写真の左下隅に入れて撮るのだ.

彼女によれば,本当は自分も写真に入りたいのだが,ひとりだとそれができないからせめて自分(が使用しているもの)の一部を写真に入れようとしているのだそうだ.

それを真似して撮影したのが上の写真(クリックで拡大)である.

月に2度のペースで通っている行列のできるラーメン店の(期間)限定メニューを撮影してみた.とってもいいオリジナル感がでていてうれしい.

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2010年7月 9日 (金)

清潔と衛生的の違い

新刊案内で見て,タイトルから想像される内容に惹かれて,すぐに注文した本がある.

杉山幸丸編著「人とサルの違いがわかる本---知力から体力、感情力、社会力まで全部比較しました」(オーム社)である.
(引用情報欄を参照;通販サイトAmazonへのリンクはこちら)

人のルーツであるサルを知ることで人を知り,人のあるべき姿,向かうべき方向を考察するには絶好の内容だと確信したからである.

現在の人間社会には問題が溢れている.それが,極度に複雑化した社会のせいなのか,それとも,動物としての人間の避けられない運命なのか.あるいは,なだいなだ著「人間、この非人間的なもの」(ちくま文庫;引用情報欄を参照;通販サイトAmazonへのリンクはこちら)の主題となっている,人間であるからこその非人間性なのか,それともサルの時代から引き継いだ(引き継いでしまった)欠点なのか.このような観点に注目しつつ,今のところ半分程度まで読んだ.

人とサルの違いの本は,全体的に大変に面白く考えさせられるものだが,ひとつ特に印象に残ったのは,「衛生的とは何だろうか」の節である.

そこでは,サルが決して清潔ではないこと,現代人は清潔すぎるために免疫系の働きが失われていること,そして,衛生は「生を衛(まも)る」ことであって清潔を意味しないことが述べられている.

現代人が衛生と清潔をはき違えていることは,拡大して解釈すれば,今の人間社会の種々の問題に置き換えられるように思う.

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