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2010年2月14日 (日)

折り紙「カメラ」に思う

大学講義棟の廊下で,窓枠に折り紙のカメラが置かれていた(折り紙「カメラ」については例えばこちらを参照).

ノオト「立体視」で,昔の人々に比べて現代人の想像力が衰退している可能性に言及したが,その折り紙を見て同様に,動物としての人間の想像力が働きにくい時代としての今を思った.

が小さい頃からカメラの折り紙があったのか記憶が定かではないが,少なくともケータイで写メる(携帯電話で写真をとる)ことのできるようになるかなり以前からあった.オトナが使うカメラに憧れて,小さな子どもが折り紙で,「はい,とりますよ〜,ちーず! カシャ♪」と口に出しながら,パチンとカメラ折り紙のシャッターを切る姿を目にした.今でもそういう姿はあるのだとは思うが,最近目にすることの多いのは,親のケータイを手にして本当に写メしてる子どもの姿である.

確かに,早くに高い水準に触れることで,さらなる発想が膨らむ可能性はあるだろう.しかし僕は,動物としての人間を強く意識するから,早すぎる体験,とりわけ用意された体験,の効果に懐疑的である(動物としての人間については,ノオト「ボルグのやり方と,読字障害と,動物としての人間」も参照).

すぐには叶わない憧れを抱きつつ,憧れと現実の差を想像力と心と,そして身体感覚で埋め合わせること,いわばバーチャルできることも,人間の大いなる駆動力になると思う.ノオト「実際に」あるいはノオト「実際に(その2)」の表現を用いれば,“虚際”は大切ということだ.

知人Oのお子さんの通う保育園では,家庭でも園児にテレビを見せないことを推奨しているそうだ.テレビを見ないことによる成長への悪影響はないから,自由な想像力を養う上で良い方針だと思う.子どもに見せないということは,必然的に親も見られなくなるから親は辛いかもしれないが,僕自身の経験でも,見ると毎日何時間でも見るのに,見ないなら特に不自由せずに過ごすこともできる.

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