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2010年2月

2010年2月28日 (日)

ダジャレ・アーカイブズ:ワンダフル!

ダジャレ・アーカイブズに「ワンダフル!?」を追加.

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2010年2月25日 (木)

とっても得した感がある

A_book_on_japanもう2年以上前になるが、書店の洋書コーナーで「JAPAN 英語〜日本語」という本に出会った(写真;引用情報欄にAmazon.co.jpへのリンクあり).

よく知っている漫画家(玖保キリコ)の名前が表紙にあって,見るからに日本人の英語学習のための本なのだ.が,よ〜く見てみると,日本を旅行する英語ユーザー外国人のための本と書いてある.

その想定読者ではないだが,頁をペラペラとめくって現われる内容やイラストや写真が非常に面白くて,迷わず購入した.

実は,きっかけは,外国人向けの視点から書かれた日本を楽しむというあまのじゃく心からだったのだが,この本は実は完全に日本の視点から作られており,落ち着いてよく読んでみると,その内容の充実と面白さにますます満足度が高まっていった.

ことばだけではなく,社会,文化,習慣などなど,あらゆる観点から日本が学べるこの本は,あまりにもコスト・パフォーマンスがよすぎて,申し訳ないとさえ感じてしまう.

この本は中学生以上なら誰でも楽しめると思うが,英語に関心がないある中学生に,意識改革のきっかけとなることを期待して渡してみたが,改革には結びつかなかったようだ.おとなの知人に薦めてみたら僕の見解に共感してくれたから,見かけのポップとは裏腹にオトナ向けなのかもしれない.

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2010年2月14日 (日)

折り紙「カメラ」に思う

大学講義棟の廊下で,窓枠に折り紙のカメラが置かれていた(折り紙「カメラ」については例えばこちらを参照).

ノオト「立体視」で,昔の人々に比べて現代人の想像力が衰退している可能性に言及したが,その折り紙を見て同様に,動物としての人間の想像力が働きにくい時代としての今を思った.

が小さい頃からカメラの折り紙があったのか記憶が定かではないが,少なくともケータイで写メる(携帯電話で写真をとる)ことのできるようになるかなり以前からあった.オトナが使うカメラに憧れて,小さな子どもが折り紙で,「はい,とりますよ〜,ちーず! カシャ♪」と口に出しながら,パチンとカメラ折り紙のシャッターを切る姿を目にした.今でもそういう姿はあるのだとは思うが,最近目にすることの多いのは,親のケータイを手にして本当に写メしてる子どもの姿である.

確かに,早くに高い水準に触れることで,さらなる発想が膨らむ可能性はあるだろう.しかし僕は,動物としての人間を強く意識するから,早すぎる体験,とりわけ用意された体験,の効果に懐疑的である(動物としての人間については,ノオト「ボルグのやり方と,読字障害と,動物としての人間」も参照).

すぐには叶わない憧れを抱きつつ,憧れと現実の差を想像力と心と,そして身体感覚で埋め合わせること,いわばバーチャルできることも,人間の大いなる駆動力になると思う.ノオト「実際に」あるいはノオト「実際に(その2)」の表現を用いれば,“虚際”は大切ということだ.

知人Oのお子さんの通う保育園では,家庭でも園児にテレビを見せないことを推奨しているそうだ.テレビを見ないことによる成長への悪影響はないから,自由な想像力を養う上で良い方針だと思う.子どもに見せないということは,必然的に親も見られなくなるから親は辛いかもしれないが,僕自身の経験でも,見ると毎日何時間でも見るのに,見ないなら特に不自由せずに過ごすこともできる.

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2010年2月10日 (水)

立体視

Sm172_l立体感には強い関心があるが,どうも昨今のスリーディー(3D)ブームには心が動かない.

それは,一つには,みんなが騒いでいるからあまのじゃく心が関心を抑制しているところに,もう一つは,それがハイテク過ぎるところにある.
(携帯電話だって凄いハイテクではあるが,授受する情報が文字と画像という古典的情報だからまだしっくりくるように思う.)

が強く惹かれるのは,ローテク(low technology)の,人間が想像力を働かせることによってこそ見える,人間味が前面に出ている立体感(スリーディー)である.

そのような立体感の例は,錯覚ドラゴン(ドラゴン・イリュージョン)であったり,写真・画像の単眼立体視である.

「錯覚の世界---個展からCG画像まで」(ジャック・ニニオ著;引用情報欄にAmazon.co.jpへのリンクあり)の第15章「非現実の現実---映像技術と錯覚」には次の記述がある.によれば・・・

昔の人々は「聖人画や肖像画のような《…中略…》額縁に入った絵を前にしてその奥行き感に驚嘆した」そうだ.
(「・・・」は本文の引用.)

リアルな映像にさらされている現代人は,昔の人々のような想像力を働かせる必要がないから,想像力を働かせることができなくなってしまったのだろう.

その本には,簡単に体験できる単眼立体視が紹介されている.本の写真をそのまま紹介することができないので,手元の著作権フリー素材集から原理的に同じ効果が出そうなものを選んだのが写真(クリックで拡大)である.

紙など(黒色が理想だが,別の色でも大丈夫だろう)を細く筒状にまるめて片目だけでのぞき込み,そこに実物があると信じて写真を見れば,けっこう驚きの立体感(奥行き感)を味わえると思う.筒の中に見えている世界だけに集中するのがコツである.

《註》下線部は2010/04/11に加筆.

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たまたま

Dice_in_a_cupはじめに,タイトルは[低高低高]という抑揚で読むことに注意!

ノオト「人間科学マジック」で,人間の避けられない弱さを利用したマジックを紹介した.

その際には紹介しなかったが,サイコロを転がすために写真のようなお椀(ステンレス製;100円ショップで購入)を用いた.これは我ながらいい思い付きだった.

教室でサイコロを振る実験だったのだが,使用教室の机は,大学で広く用いられている,横に数席がつながっていて手前に少し傾いているものだった.小中高で一般的な一人に一つずつの机ならば,平らだからよかったのにと思いつつ,対応策として思い浮かんだのがお椀だった.正確にいうと,お椀かボールを考えていた.

陶器のお椀でもいいが,持ち運びが重そうだなぁ・・・.ともかく行ってみれば何かいいものが見つかるかもしれないと行った100円ショップで見つけたのがこのお椀である.軽くて跳ね返りもいい,思い描いていた理想の3割増しのものだった.

さらには,これは平らな机でも活躍できるものだと気づいた.いくら平らでも,サイコロを自由に転がせば,ときには机から落ちてしまう.このお椀があれば思う存分サイコロを振ることができるだろう.

さて,最近,『たまたま---日常に潜む「偶然」を科学する』(レナード・ムディナウ著)を読んだ(参考情報欄にAmazon.co.jpへのリンクあり).その第9章「パターンの錯覚と錯覚のパターン」に,この人間科学マジックのタネに関係する記述があった.

「音楽プレーヤーiPodで最初に採用したランダム・シャッフリング」について「ユーザーが,シャッフルはランダムではないと思った」ようで,スティーブ・ジョブスは「もっとランダムな感じにするために少しランダムではなくした」そうだ.
(「・・・」は本文の引用.)

本当のランダムと,人間がランダムに感じるランダムは異なるということだ.

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2010年2月 7日 (日)

自動洗車

Snowは,車の洗車をあまりしない.

自宅も職場も駐車場が屋外で,時には雨という自然のシャワーもあるから,放っておいてもいいと思っている.

しかしそれでも,雨が逆に車体を汚してしまうことが多い上に,あんまり汚れを残していては塗装の持ちも悪くなると思い(*),1〜2か月に1度は自動洗車機にかける.

(*) 多少きたなくてもいいから,風雨をしっかり防いでもらいつつ,長〜く乗りたいと思っている.

自動洗車機は僕のようなめんどくさがりにはとってもありがたい.普段使っている一往復半だと,まあまあきれいにはなるが,ピカピカとまでは行かない(ふきとりをすればもうちょっときれいになるのかもしれないが,僕はふきとりをしたことがないに等しい).しかしそれで十分に満足している.

先日,広い範囲で,夕方から翌未明にかけて雪が降った.僕の住む地域は比較的温度が高かったようで,雪ではなくみぞれだった.

次の朝はスッキリと晴れ渡り,それだけでも気持ちよかったのだが,車を見ると,なんと,いつもはうっすらと積年のよごれがついているミラーの付け根までがピッカピカになっているではないか!

前の晩は風が強かったから,水+シャーベット+風の協調で,自然の自動洗車が行なわれたようだ.

この原理,既に実用化あるいは研究されてるのだろうか.

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2010年2月 3日 (水)

マイ・ハイブリッド・イメージ

A hybrid image of current me and me in the childhood --- 最近の僕と幼少期の僕のハイブリッドイメージ
ノオト「アインシュタインか,マリリン・モンローか?」で紹介したハイブリッド・イメージ(ハイブリッド画像)については,その後も幾分か考察し,自分でもいくつか作品を作ってみた.

その中のひとつが上の画像である(クリックでFlickrサイトの拡大画像にリンク).

中央の顔画像が,近くで見ると最近のが,数メートル離れて見ると幼少期の僕が見えるようにした.

画像中に説明したように,幼少期の僕を見るには,離れて見る以外にも,「携帯電話(など)のカメラを通して見る」「メガネをはずして見る」方法がある.

上記リンク先の画像を見た場合に,近くで見ても最近の僕(成人)が見えにくく幼少期の僕が混じって見える場合には,拡大画像を選べば最近の僕が見えやすくなるはずです.
(画像の拡大方法についてはリンク先の説明を参照してください.)

《注記》2010年7月24日:最大サイズ画像にリンクしていなかったことなどを修正.下線部字消し線部.

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2010年2月 1日 (月)

カラオケのレパートリーに入れる条件

歌には,夢や,希望や,願いが込められている.メロディーに,そして歌詞に.

それを聴くとき,そして歌うとき,自分の思い入れと照らし合わせたり,自分の意思が込められる.

だからは,それがカラオケであっても,自分の思いに反するものは歌いたくないと思う.

メロディーは気に入っているのに,残念ながらあまり歌いたくない歌がある.

それは,女々しい男を歌った歌である.自分にも女々しい部分,後ろ向きの部分があるから,せめて歌では男々しく(雄々しく)ありたい,前向きでありたいと思うからである.

その観点で最近レパートリーに入れたのは絢香の歌である.生き方の歌も,恋の歌も,僕の世代が歌っても十分にオトナな歌詞だと思う.

ところで,愛情の変わりやすいたとえとして,現代では「女心と秋の空」をよく使うが,国語辞典「大辞泉」によれば,元来は「男心と秋の空」と言ったそうだ.となると,昨今の強い女と従う男の図式に鑑みれば,「女々しい」と「男々しい(雄々しい)」の意味が逆転することも十分にあり得る!?

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