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2010年1月31日 (日)

不親切という優しさ

書籍『ほんとはこわい「やさしさ社会」』では,「やさしいきびしさ」「きびしいやさしさ」など,一見した優しさや厳しさと,それが本当に意味することについて考察されている(引用情報欄にAmazonへのリンクあり).

は,自分の勤務する大学にWeb版の授業情報提供システムが導入される前から,自前で授業情報のWeb提供を行なってきたのだが,今年,その提供のしかたを大きく変更した.

それは,僕の考える本当の優しさを実現するための変更である.

これまで10年以上にわたり,毎回の授業の実施内容や配付資料をWeb掲載してきた.

講義ノートをすべて掲載するという考え方もあるが,僕の場合には授業1回分がパソコンの1画面か半分程度である.それは,授業に出られなかった(出なかった)学生へのサービスと,授業に出た学生の利益のバランスを意識してのことである.

昨年までは,授業が終了するまですべての記録を残してきた.いつでもどこでも情報にアクセスできるように.

この一見優しそうに思えるサービスに潜む,実は優しくない側面に気づき,今年からは,1か月以上前の情報は順次削除することにした.

ひとことで言えば,不親切という優しさを実現したかった.
(Webによる授業情報提供を実施していない教師の方が多いから,根本には親切があり,その親切の中での不親切に過ぎない.)

いつでもアクセスできることによる気のゆるみや甘え,そしてそれがもたらす意識の低下を阻止したかった.

また,ノートの貸し借りなどを通した学生間コミュニケーションを促し,(もっとあった方がいいと個人的に思っている)連帯感を育みたかった.

サービスし過ぎないこと,これがサービスを受ける側の満足につながると考えている.

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