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2010年1月

2010年1月31日 (日)

不親切という優しさ

書籍『ほんとはこわい「やさしさ社会」』では,「やさしいきびしさ」「きびしいやさしさ」など,一見した優しさや厳しさと,それが本当に意味することについて考察されている(引用情報欄にAmazonへのリンクあり).

は,自分の勤務する大学にWeb版の授業情報提供システムが導入される前から,自前で授業情報のWeb提供を行なってきたのだが,今年,その提供のしかたを大きく変更した.

それは,僕の考える本当の優しさを実現するための変更である.

これまで10年以上にわたり,毎回の授業の実施内容や配付資料をWeb掲載してきた.

講義ノートをすべて掲載するという考え方もあるが,僕の場合には授業1回分がパソコンの1画面か半分程度である.それは,授業に出られなかった(出なかった)学生へのサービスと,授業に出た学生の利益のバランスを意識してのことである.

昨年までは,授業が終了するまですべての記録を残してきた.いつでもどこでも情報にアクセスできるように.

この一見優しそうに思えるサービスに潜む,実は優しくない側面に気づき,今年からは,1か月以上前の情報は順次削除することにした.

ひとことで言えば,不親切という優しさを実現したかった.
(Webによる授業情報提供を実施していない教師の方が多いから,根本には親切があり,その親切の中での不親切に過ぎない.)

いつでもアクセスできることによる気のゆるみや甘え,そしてそれがもたらす意識の低下を阻止したかった.

また,ノートの貸し借りなどを通した学生間コミュニケーションを促し,(もっとあった方がいいと個人的に思っている)連帯感を育みたかった.

サービスし過ぎないこと,これがサービスを受ける側の満足につながると考えている.

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2010年1月30日 (土)

B判の良さが再認識された!?

Ipad_b5_a4ノオト「AとB」(2001年7月8日)では,さまざまな場面で用いられる用紙のサイズがB5(大学ノートサイズ)から,それよりもひとまわり大きなA4に完全移行しつつあることを書いた.

そして,個人的にはB5判も使い続けたいと書いた.それから8年半を経た今でも,考えは変わっておらず,ノートはB5判を用いている.

一方,官公庁,会社,小中学校などあらゆる場面で,用紙は完全にA4判に統一されたといっていい.

ところが,面白いことに,最近アップル(Apple)から発表されたiPadのサイズが,なんとほぼB5判なのだ!
iPadはタブレットPCに分類される情報機器で,大きなiPod touch (あるいはiPhone) と考えてよさそうだ.

B5サイズは幅182cm×高さ257cmであり,iPadは幅189.7cm×高さ242.8cmであるから,ほぼ同じ大きさである.上の図(クリックで拡大)はこれらの大きさの関係を示している.

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美の謎が解けた?

黄金比(黄金分割)の謎が解けたという記事に飛びついた.

黄金比(golden ratio)とは,古来から美しいとされる比率「1対1.618」のことである.数字に興味のある人のために書いておくと,1.618は近似値で,正確には (1+√5)/2 である.

もっとも,人間の感覚がそこまで厳密な数値に依存するとは思えないから,実用的には 1.5 や 2/3 が美しいバランスの基準として用いられている.

詳しくはウィキペディア「黄金比」などを参照.

さて,その記事とは,"Mystery of golden ratio explained" である.

記事には著者サイトのURLが書かれていたからアクセスし,オリジナルの論文を見ることができた.

ざっと読み,少し考えてみただけだから真偽の判断は下せていないが,少なくとも考察の筋道が興味深かった.

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2010年1月29日 (金)

さしすせそ,あいうえお,五十音!

Communication他人Iによれば,恋愛において相手とコミュニケーションをとるための「さしすせそ」があるという.「さすが・信じられない・すごい・せっかくですから・そうなんだ」である.[詳しくはこちら][Google検索はこちら].

何ごとにおいても,簡潔に表現すること,いい名称を付けることは人口に膾炙する[じんこうにかいしゃする]ために肝心なことで,人々の記憶にも残りやすいから,うまいいことを考えるなぁと感心した.

早速冗談半分に知人に試してみたら,わざとらしいと一蹴されてしまった(^_^;)

コミュニケーションで伝達される情報は言語情報と非言語情報に分類されており,非言語情報の方が支配的であることが知られているから,同じことばであっても僕には使いこなせない可能性は否めない.
※ 参考 → ノオト「へたこいたー!

五十音には一家言あるは,ただの受け売りでは面白くないので,コミュニケーションの「あいうえお」を考えてみた.

【あ】あたまいいね!
【い】いいね!
【う】うまいね!
【え】えらいね!
【お】おもしろいね!

こうなったら,「かきくけこ」「たちつてと」…と五十音を全部考えてみたい気になってきたが,今日のところはこの辺で止めておこう.

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三つ子の魂百まで

Young_boyこの歳になってまた,ひじょーに初歩的な,幼すぎて恥ずかしいおっちょこちょいをしてしまった(>_<)

「三つ子の魂百まで」と,先人の残してくれたことわざを慰めに気持ちを切り替えよう!

と同時に,話の種(ネタ)はコミュニケーションの重要アイテムだから,この状況を与えてくれた環境に感謝♪

その夜の懇親会会場は,開店間もないこじんまりした居酒屋であった.古民家を改造した,まだ看板もない隠れ家である.バス通りから発見することはできても,ぐるっと裏通りを回った袋小路にあるから,初めての人が一人で行くのは大変に困難である.

後からマイカーでやって来たその参加者は,運良く居酒屋を見つけることはできたが,待っていた僕との間には金網があった.

ジェスチャーで進路を指示した僕は,次のポイントへ先回りして,角を曲がってくるはずの車を待っていた.

推測どおりのタイミングで角を曲がってきた車に僕は,道路をふさぐように対面し,大きく両手を振った.ここだよ~!と.

僕の目の前で停止するはずのその車は,僕をよけてハンドルを切り,走り去った(・_・;

そのすぐ後に続いて角を曲がって来た車に大きく手を振るには,まだ困惑が消えきっていなかった.

三つ子の魂百まで・・・生まれもった性格は変えられない,ただ,行動の前に修正できるよう経験から学ぶだけ.

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2010年1月24日 (日)

トイレと手洗い

Handsが小学生の頃,昼休みなどに,手洗いを奨励する軽快なノリの歌が流れていた.

「せっけんで〜 手を洗おう〜 せっけんで〜 て〜を〜あ〜らお〜♪」

ノオト「店内ポスターの効用」で紹介したスーパー三和のオリジナルソングと似た印象の歌である.

さて,ノオト「インフルエンザ対策!?」の内容と関係がある話題である.

手洗いに関して,僕の小学校高学年時のクラス担任だったH先生のことばが印象に残っている.

それは,次のような内容だったと記憶している.

“みんなはトイレの後に手を洗っているが,本当はトイレの前に洗うべきなのだ.”

平均よりもかなり幼かった当時の僕が,ことばの真意を理解していたかどうかの記憶は残っていないが,少なくとも,フツーと違うということに(当時からあった?)あまのじゃく心がくすぐられて印象に残ったのだろう.

念のため補足しておくと,これは主に男子向けである.男子は小用の際に,手を添えてねらいを定める必要があるから,もしも手にバイ菌が付いていると,感染の危険がある.仮に用の際に手がよごれたとしても,どこぞやで手に付いてしまうかもしれない菌に比べたらきれいなものである・・・だろう!?

更に念のため補足しておくと,その先生は,トイレの後は洗わなくていいと言ったわけではない・・・と記憶している.

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2010年1月21日 (木)

インフルエンザ対策!?(補足)

ノオト「インフルエンザ対策!?」に,重要な項目を入れるのを忘れていたので,最後に2点追加した.

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インフルエンザ対策!?

Escalator_beltは昔から自己流を楽しむことが多かった.

が,その自己流が実は理にかなっているということも多々あった.
理にかなっていなかったことを都合よく忘れているという可能性も否定はできないが…(^_^;)

ところで,僕は人間がこぢんまりしてるから,豪快な人や懐が深い人のことばに感銘を受けることがある.
印象に残っていることばの一つに,不摂生ができるのは健康なしるしだという上岡龍太郎のことばがある.
あまのじゃく心をくすぐることばであると同時に,まったくその通りだと思う.

さて,僕は,無意識にあるいは意識的に,これまで続けてきた行動,そして,今回の新型インフルエンザを意識して行なっている行動がある.

僕がこれまで新型インフルエンザに感染せずにすんでいるのがこの行動によるのか,それとも単に運がよかっただけなのかが疑問だから,インフルエンザ対策としての有効性は不透明だが,感染の危険性(リスク)を低減させていることは間違いない.自己流だが理にかなっていると思っている.
僕の周りで新型インフルエンザにかかった大人は,ほとんど例外なく小中学生の家族からの感染だから,余計に僕の対策の有効性が定かではなくなる(^_^;)

新型インフルエンザを意識して行なっていること(I)と,それ以前から行なっていたこと(H)を順不同で挙げると…

  • 電車,バスのつり革につかまらない.(I)
  • さまざまな書類記入やクレジットカードのサインの際に,差し出されたペンではなく,自分のペンを使う.(I)・・・僕は以前から常にペンは持ち歩いている.
  • エレベーターのボタンを指先で押さずに,グーなどで押す.(H)
  • エスカレーターではベルトにつかまらずに,ヒジを乗せる.(H)
  • できるだけ自動ドアの経路を利用する.(I)
  • 扉を開けるときに,平面を手のひらで押したり,バーを手で握って引いたりせず,掌のはら〜手首で押したり,爪の先で引く.(H)
  • 職場や店などにある消毒用アルコールを使う.(I)・・・僕は元来,アルコールの匂いが大好きである!
  • 人混みでは口を結んで鼻呼吸に徹する.(I)
  • (ゆらゆらと動くふたが付いていて押すとくるっと回ってごみを入れることのできる)ごみ箱にごみを入れるときには,ゴミをつかってツンとつついて,フタ回ったタイミングでごみを入れる.(H)
  • こまめに鼻をかむ.(I)
  • ハンカチを毎日交換する.(I)・・・これは人に当然と言われるが,白状すると,それ以前は一週間は同じハンカチを使っていた(^_^;)

念のため付く加えておけば,僕は潔癖症とはほど遠いと思う.

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2010年1月12日 (火)

算数と野菜にかかわる不思議(続々)

Vegetableノオト「算数と野菜にかかわる不思議」と,ノオト「算数と野菜にかかわる不思議(続)」で紹介した実験の続編データが集まった.

それは,計算の後に「野菜といえば?」と尋ねるのではなく,ただ「野菜といえば?」と質問した場合の回答である.

27名の回答の上位5つは,

人参19%
キャベツ19%
白菜15%
トマト15%
ピーマン11%

であった.

今回も前回と同じ,知人大学生4名が協力してくれた.回答者は大半が20歳前後であった.

「算数と野菜にかかわる不思議(続)」と比べると,事前の計算問題の有無は回答に影響しないようである.

つまり,英米人にとって事前の計算問題はプライミングとして機能するが,日本人には事前の計算問題にはプライミングの効果がないということである.

この問題については,とりあえずこれで〆にするが,今後も頭の片隅に置いておきたい.

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2010年1月11日 (月)

さよならと始まり

Book_and_bookmarkノオト「よろしくお願いします」(2001/01/05)に,のあまのじゃくさ加減が推し量れる主張が述べられている.
(それから9年の時を経た現在,主張の細部については変化した部分もあるが,今の自分でも言いそうなことだなぁと思う.)

さて,いきものがかり「YELL」の歌詞に,「さよならは悲しい言葉じゃない,それぞれの夢へと僕らをつなぐエール.」という一節がある.

フツーの連想「さよなら → 別れ → 悲しい」ではないことを指摘しているところだけでも,あまのじゃく心をくすぐるのに,更に深い解釈まで呈示されたりすると,たまらなくうれしくなる.

よく,結婚をゴールと表現したり,墓場という人もいる.しかし僕は,スタートあるいは区切りとして捉えてきた.

※ 墓場については,「いる」ではなく「いた」というのが正しいかもしれない.なぜなら,女性主導社会がすっかり定着した昨今,結婚は墓場などとのたまう勇気ある男子を見かけないから(^_^;)
大学生の頃,これと似た観点で興味深い英単語を知り,僕の考え方にピッタリだと膝を打ったことがある.それは“commencement”である.この単語は,米国で卒業の意味として用いられることばだが,第一義は「始まり」である.

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2010年1月10日 (日)

そぞろ歩きの効用

Jinjasiganaoyaふらりと散策のつもりで立ち寄った神社に,写真(クリックで拡大)のように引用が書かれていた.

自らを振り返るための,いい言葉に出会えたなぁと思った.

境内に進み,お守りの授与所の隅を見たところ,今月のことばが記された札が置かれ,自由に持ち帰っていいと書かれていた.

それは,東京都神社庁が毎月作成しているらしい「生命(いのち)の言葉」だった.
(東京都神社庁のWeb頁をざっと見てみたが,生命の言葉のバックナンバーは掲載されていないようだ.これを不便だとか,サービスが悪いと思う向きもあるだろうが,現地に赴かなければ見られない,そこがまたいいと思う.)

その月のことばは,「交際の奥の手は至誠である」であった.

これはいいことばだが,それなりに時を重ねてきた人ならば経験を通じて大概が分かることだから,特別な印象を受けない人もいるだろうが,それをこのように簡潔で,人に訴える力のある形にまとめられる人はごく少数である.逆に,時を重ねて分かるからこそ,ことばが心にしみてくる.

このことばはインターネット上で多く取り上げられているようだから,このことばのGoogle検索などしてみれば,興味深く,あるいは詳しく紹介しているWeb頁を見ることができる.
(Google検索では,このことばの本題ではなく字面から選定される,このことばとは無関係のスポンサーリンクが多数表示されることに注意してもらいたい(汗))

さて,実のところ僕は知らなかったのだが,このことばの作り主である渋沢栄一という人はかなり世間に知られている人のようだ.そのような立派な人を今まで知らなかったことは恥ずかしいとも言えるが,それもまた“自分”だから,いま知ることができたことを幸運と思いたい.

その人の他の言葉も知りたいと思いつつも,上記の一文だけでも十分に影響力があるからと,積極的に調べることをせずにいた先日,書店でたまたま渋沢栄一著「論語と算盤」(ろんごとそろばん)なる文庫本(引用情報欄を参照)が目に入った.

見てみると平成20年初版の文庫本だから意外に新しい(元になったのは昭和2年に刊行された本である).

その本には多くの知恵が書かれているが,僕が興味を持った一例を挙げると,「人物の観察法」がある.そこには,初対面の印象が最も間違いがないと書かれている.
(また,孟子の,眸子[ぼうし](=人の目)で人物を観察する方法も紹介されている.続いて,論語が引用され,人物の観察の正確さをよりいっそう高める方法が述べられている.)

第一印象に関しては,このノオトでも,最近の研究成果を引用して,「第一印象が重要」や「百聞は一見にしかず,しかして一見は…」に書いたが,それらが先人によって古くに発見されていたことを知ると,改めて,“現代科学とは,智慧ある先人が既に分かっていたことを,理屈好きの凡人が理解できる言葉で説明し直す試みの体系である”という思いを強くする.因みにこのことばは,恐らく誰かが既に言っているとは思うが,引用ではなくの頭に浮かんだことばである.

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2010年1月 5日 (火)

教育制度についての試案(2)

Scheduleboard(ここでは大学の教育制度を念頭に置いている.)

ノオト「教育制度についての試案(1)」では,定期試験を半年遅らせて知識の保持率(残存率)を高めるための試案について述べた.

ここでは,ハッピー・マンデーによってアンハッピー(unhappy)になってしまった授業の年間スケジュールを改善するための試案について述べる.

もともと振替休日によって月曜が休日となることがままあった.ハッピー・マンデーが始まって,明らかに月曜の休日が増えた.
そのため,各授業が週1コマで時間割が組まれている場合には,月曜の授業の回数が少なくなり,他の曜日の授業とのバランスが悪くなる.

その対策として,各大学では祝日と平日を入れ替えたり,回数に余裕のある曜日と月曜の授業を入れ替えるなどして何とか授業回数のバランスをとっている.

もちろん,その他の対策として,(a) 週2回開講により休日を分散させる方式や,(b) 授業回数はあくまでも目安と考え授業内容で実質的に評価する方式があり得るが,(a)を採用している大学は少なく,(b)は文部科学省の推進する形式主義[*]の観点から否定されている.

[*] 単位を付与するためには規定回数の授業が不可欠であるという考え方.文部科学省の用語では「実質化」と呼ばれているようだが,内容よりも回数を重視する点で,庶民感覚に照らせば「形式化」と呼ぶべきであると考え,ここでは分かりやすく形式主義と表現した.

この対策のためのの試案は,「授業実施日を現在の月曜〜金曜ではなく,火曜〜土曜にする.」である.

月曜に授業を実施しないことの利点は,もちろん第一に,休日の多い月曜を避けることで曜日のバランスがとりやすいことである.そして第二に,月曜が休日になることで,学生は(もちろん職員もだが)混雑のない平日に休日を謳歌できることである.

この試案に対して,知人Wは瞬時に,社会構造をわきまえた冷静なものいいをつけてきた.婦人パートが手薄になる土日の労働力は学生によって補われているから,土曜が授業実施日になると土曜の労働力不足が発生するという.

これには,まったくいいわけができなかった(>_<)

特定の大学だけが月曜休日&土曜授業実施にしてしまうと,その大学の労働力をあてにしている地域に労働力不足が発生してしまうから,大学だけでなくあらゆる学校が月曜休日にしない限りこの試案は効力を発揮しない.

また,仮にあらゆる学校でこれを実施したとしても,(学校以外で働く)親と子の休日にズレが生じることも問題の種になるだろう.

結局,学生が労働力として期待されている限りは,この案は有効ではないということだ.

その場では知人Wに披露するのを忘れていたが,授業実施曜日に関してもうひとつの試案を持っている.

それは,「祝日,振替休日に関わらず,土日以外はすべて授業を実施する」という案である.この案に対して知人Wはどうものいいを付けてくるだろうか….

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100の目標 (その3)

Pen_and_note1月1日から3日にかけて,の今年の100の目標を書いた.
(100の目標については,ノオト「100の目標」や同じくノオト「100の目標 (その2)」を参照.)

几帳面な性格の僕は,つい,達成できそうな目標だけを書いてしまいがちだが,これを教えてくれた知人によれば,これは,100の目標すべてを達成することが目的なのではないという.

何年繰り越してもいいから,夢のようなことでもいいから書くことが重要なのだという.

今回,そのことを意識して夢も書いてみた.

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2010年1月 4日 (月)

教育制度についての試案(1)

Hourglass(ここでは大学の教育制度を念頭に置いている.)

は生来,気になることを追求する性質があり,また,10代後半になって学びの面白さを知ってからは,興味を持って覚えたことを忘れないように時折自主的に復習を行なっていた.

このような性格だからこそ,科学者,教育者という職業を選択しようという気にもなったのである.

また,このような僕は大学時代,期末試験が終わっても,少数の科目の基本的な部分は時折見返しては頭に入っているかどうか確認していた(ような記憶がある ← なにぶん四半世紀前のことなので記憶の変容が起こっている可能性は否めない…???).この件の事実関係はともかく,あまのじゃくの僕は,自分の基準「瞬発力で劣っても持久力を身につける」を作っていた.だから,成績が悪くても気にせずに我が道を行っていた.

いま,僕の目から見ると,どうも瞬発力だけで過ごしているような学生が多いように思う.

そこで,教育制度についての僕の試案(1)は,「定期試験を半年後に実施する」である.今の学期の定期試験を,次の学期の期末に実施するのである.

こうすれば,授業中に得た知識や,小テストやレポートで身につけた知識を,現行の定期試験までの短期間だけ頭に残すのではなく,半年という期間なんらかの形で保持する必要があり,持久力を付けるのに有効だと思う.

この試案を知人Wに話したら,すぐさまものいいがついた(>_<) つまり,現行の方法でも僕の試案でも,学生が試験の数日前,極端にいえば前日に勉強することに変わりはないというのだ.

それに対する僕のいいわけは,たとえ前日だけの勉強ではあっても,つい最近耳覚えのあることと,半年以上前のことでは頭への保持努力が異なり,試験実施後1年の知識保持率は異なる可能性があるというものである.とはいえ,悔しいけど,知人Wに強く反論するだけの根拠はない….

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