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2009年6月24日 (水)

男女平等から女性主導へ

Avecが中学生の頃,「技術・家庭」の授業は男女が別クラスだった.男子が「技術」で工作などを学び,女子は「家庭」を学んだ.

これを男女差別だというのかもしれないが,男女別学と差別は別物だという認識があったと思う(*1).もちろん当時はそこまで考えなかったが,今思えば,それを通して,自身の存在価値が見つけられたように思う.

現在,中学校では男女ともに「技術」と「家庭」を学ぶ(*2).

あまりに均等過ぎて,本当に強くなければ自分の価値を見出すことが困難になっていると思う.いわば,ごまかしがきかなくなっている.

人間は(特に男は?)弱い面がたくさんあるから,何とかよりどころを探して生きているのだと思う.だから,遊びがないとキツキツになってしまう.

授業時間削減や土曜の休みなど,無益なゆとりを作っておいて,本当に必要なゆとり(遊び,ごまかしがきくこと)がなくなっている.

だんだん話が逸れ来たので(汗),そろそろ本題に入ろう.

先日,あるホテルのブライダル・フェアの様子を見る機会があった.

結婚を決めたカップルが集まり,有名人のトークショーを楽しんだり,より美しく魅せるためのさまざまなレッスンが行なわれた.

それらレッスンでは,壇上の講師が会場のカップルから希望者を募って,ステージに招いて体験してもらう場面が多かった.

そこで目にしたのは,積極的な女性と,それに引っ張られる男性だった.

ステージからの呼びかけに対して,手を挙げるのは例外なく女性の方で,男性は照れくさそうに付いて行った(*3).

そのような女性主導の構図の中には,もはやレディーファースト(≒女性尊重)の概念は消滅しているようだった.十分に強いから,尊重する必要がないからだ.

たとえ芯がしっかりしていて男前でも,あるいはたとえ,ちょっとひねくれていても,男の弱さを分かって,ふとしたところで気づかいを見せてくれる女性に,男は惹かれ,尊重したくなるものだ.

(*1) 役割の分担がそもそも不平等だとの意見もあるかもしれないが….

(*2) そして「技術」の中にはパワーポイントの使い方まで含まれている!

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