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2009年1月

2009年1月31日 (土)

オトナへの挑戦!?

とある居酒屋チェーン店で,(いい意味で)オトナへの挑戦を受けた.

それは,常識への挑戦という観点で興味深いものだった.そこにいたオトナたちはみな,脳をくすぐられて喜んだ.

客A「ナマチューひとつ!」
客B「ウーロンハイ,濃いめでネ!」
店員「どちらを濃くしますか?」
客B「・・・・・,ショーチューの方を濃くして!」
客たち「そうそう! ショーチューの方〜♪」

【註】ウーロンハイ=焼酎+ウーロン茶+水+氷

まだ10代とおぼしきその店員(男子)は,何の悪気もなかったように見える.ただ純粋に,そして真面目に《どっちを濃くするんだろう・・・?》と迷って聞いたのだと思う.

これが水割りならば,「濃いめでネ.もちろん水の方をだよ♪」などと言う客は“おやじギャグ”で店員をからかっているに決まっているが,水じゃなくてウーロン茶だから,“なるほど”だったのだ.

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2009年1月30日 (金)

情報化と不安

情報として存在するものには不安がつきまとう.

パソコンのデータ消失で辛い目にあった人は少なくないだろう.

書類としてそこにあるものは,その授受は面倒だが,ちょっとやそっとでは消失しない安心感がある.

駅のトイレの鍵についても,機械式でガチャン(あるいはカチャン)とかかる方が落ち着いていられる.

バリアフリーなトイレは,たとえ機械式の鍵であったとしても落ち着かない.部屋が広いというだけで落ち着かないのに,席から扉までが遠いから,仮に予期せず開いてしまったとしたら,扉を押さえることができずに無防備な姿をさらけ出すことになりかねないからだ.(そのような心配をしたことがない人もいるだろうが….)

とは言っても,機械式ならまだいい.これがセンサー式だったりすると,たとえ極度の心配性じゃなくても,落ち着けないと思う.

センサーというのは,手をかざすタイプの,水を流す用途に広く普及しているあれである.

メカニズムとしては,トイレの中からセンサーに手をかざすと外からの操作が無効になる.が,そうは言っても,ノイズ(雑音)で電子回路が誤動作するんじゃないかとか,着座の姿勢を変えたら反応してしまうんじゃないかと心配になって,まったく落ち着かない.

人間は,見えるもの,聞こえるもの,触れるもの,匂いのするもの,味のするものに安心感を覚えるようにできている.

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2009年1月25日 (日)

四十を過ぎて,なお惑う.

Hex_vs_dec論語には「四十にして惑わず」という孔子のことばがあるが,四十を過ぎて(もうだいぶ経つが),ますます惑いが出てきたように思う.

もっとも,現代人は年齢に七掛け(0.7倍)してちょうどいいとの考え(年齢七掛説)があるようだから,まだ許容範囲だろうか?

因みに,僕は,洒落(冗談半分)で,年齢を16進数表示(cf. 十六進法)することがある.例えば40を16進数で表わすと28となり,50なら32である.これらを字面で割り算すれば,28/40 = 0.70,32/50 = 0.64 であり,おおむね七掛けになっている(左上のグラフを参照;クリックすると拡大します;グラフで点が打たれていないところは10進数では意味を持たない表記となる部分です.例:26(10進数)=1A,47(10進数)=2Fなど.).

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2009年1月22日 (木)

不統一な表現の違和感

ある部屋に,次のような掲示がある.

━━━━━━━━━━
退室される前に確認をお願いいたします
○エアコンの電源は、切りましたか。
○・・・・・・・・・・・ましたか。
○・・・・・・・・・・・ましたか。
━━━━━━━━━━

これを見て,僕は違和感を覚える.見出し部分と確認項目の表現が整合していない(統一されていない)からだ.見出しが尊敬語であるのに対し,確認項目の表現はそうではない.

確認項目の方も尊敬語にするという対処法もあるが,僕には,「退室する前に確認して下さい」で始まり,確認項目はそのままの方がしっくり来る.

ことばは統一感が重要だと思う.(もちろん,巧みな使い分けは効果的で,これについては梶原しげる著「すべらない敬語」(引用文献欄を参照)に詳しい.)

【参考】敬語といえば,国の文化審議会が出した最新の敬語の指針は2007年2月2日に答申されていて,文化庁のweb頁で入手できる.これ自体はよく読んでいないが,「すべらない敬語」にその概要や考え方が紹介されている.それによれば,その答申はことばが変化するものである点を重視し,これまでの固定観念を破壊する部分もあり,いわゆる「べからず集」ではないようだ.

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2009年1月20日 (火)

20分/100円

近年,自動精算機付きの駐車場(コインパーキング)が増えている.

6:00〜22:00_20分/100円
22:00〜6:00_60分/100円

このような料金表示は直観的判断を混乱させると思う.

これを,分かりにくいと批判したいのではない.むしろ「うまい!」と言いたい.

料金表示は 135円/100g のように表記することが多いから,「分数として小さい → 安い」という直感が働く.ところが,上記の駐車料金は分数の値が小さい方が高いから,なんだか混乱してしまう.ひょっとして結構安いんじゃないかと錯覚してしまう.

このような,悪意や不注意ではなく,トンチのきいた商売上手は好感が持てる.

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2009年1月13日 (火)

ボルグのやり方と,読字障害と,動物としての人間

ボルグとは,世界ランク1位を獲得した往年のプロテニスプレーヤー,ビヨン・ボルグのことである.


【余談】僕の記憶では,ボルグが活躍していた当時はビヨン・ボルグと呼ばれていた.事実,インターネット検索してみると,ビヨンと表記しているサイトも多い(例:tennis 365 選手名鑑).しかし,Wikipediaではビョルン・ボルグと表記されている.Google検索のヒット件数で比較してみると,「ビヨン・ボルグ」が約7,060件,「ビョルン・ボルグ」が約11,600件であった(2009/01/12, 18:00現在).

書籍『岡田武史監督と考えた「スポーツと感性」』(引用文献欄を参照)の中で,ボルグは試合の1日前くらいから文字を読まなかったという逸話が紹介されている.文字を読むことで闘争心が萎えるからだそうだ.

文字と人間の関係といえば,読字障害(ディスレクシア)が連想される.これは,会話はまったく問題ないのに文字を読むのが困難という症状である.2008年10月に放送されたNHKスペシャル「病の起源 第4集 読字障害~文字が生んだ病~」によれば,日本人の5%(英米人の10%)はこの障害を持っているそうだ.

人類としての数百万年の歴史を考えたら,文字を使い始めたのはごくごく最近である.大ざっぱに人類の起源を500万年前,文字の起源を5千年前として,人類の歴史を1年にあてはめ,人類の起源を元旦,現在を大晦日の23時59分59秒とれば,(一部の人間が)文字を使い始めたのは大晦日の午後3時過ぎである.大多数の人間が文字を使うようになるのは,紅白歌合戦が終了して,ゆく年くる年が始まる頃である.


《内省》経過時間の極端な違いを直感的に把握する目的で,このたとえを書いてみたが,目的が達成できていないように思う.つまり,大晦日の午後3時過ぎは,まだ結構残りがあるような感じもする.歳を取って時間を短く感じるようになったからだろうか…(引用文献欄「大人の時間はなぜ短いのか」を参照).

非常に長い時間をかけてゆっくりとしか変化できない生物の脳の観点から見れば,人間は文字使いの初心者である.本来は別の目的で使っていたはずの脳の部位を,文字のために流用しているのだから,あちこちに副作用が出るのは当たり前である.

動物としての人間にとって,文字はかなりのストレス要因になっているのだろう.

最近,学術雑誌Psychological Scienceに,視覚環境が記憶成績(など)に影響するという研究が発表されたそうだ(Science Centric News: A walk in the park a day keeps mental fatigue away →[相当に意訳]→ 公園散歩でストレス知らず).

公園を散歩した後は,散歩の前に比べて課題の成績がよくなるが,繁華街を散歩しても成績は変化しなかったという.更には,散歩せずに部屋の中にいた場合でも,自然の写真を眺めた場合と都市部の写真を眺めた場合では結果に差が見られたという.

難なくこなしていると思い込んでいても,動物としての人間にとっては,まだ十分に見慣れていない視覚情報の処理で脳に負担がかかっているのだ.

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