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2008年10月 4日 (土)

人間の成長とは

人間の脳は人間の進化の過程を反映しているという見方がある.

つまり,進化の歴史の古くからあったものは脳の奥深くに埋もれており,新しい部分がそれを包んでいる.実際,脳の解剖学的用語ではそれらを旧皮質,新皮質と呼んでいる.

一般に,本能や感情をつかさどるのは旧皮質であり,理性や知性をつかさどるのが新皮質である.

旧来の脳科学では,感情は知性を味付けするものとしてとらえられてきた.たとえば,必要な内容だけを述べるのでは「人間的でなく」冷たいから,感情で味付けして暖かみを出す,そのようなものであると考えられてきた.なくてもいいが,あった方がいいと考えられてきたと言い換えてもいいだろう.

しかし,近年の脳科学では,まったく逆の見解が広がっている.つまり,結論を出すのは感情であって,知性はその理由付けをするのに活用されるのに過ぎないという考え方である.

こう考えると,人間は成長して大人になったつもりでも,根っこのところでは相変わらず子どもであるというのも,うなずける.

自分が子どもだった頃,あるいは青年だった頃,年上の人たちがすごく大人に見えて,老人たちの心は外見通り老化しているのだろうと思っていた.が,自分も完全に大人,どちらかといえば子どもよりも老人に近い年齢になり,自らを省みると,根幹では子どもの頃,あるいは未熟な青年だった頃とちっとも変わっていないことに気づくことがある.自分の現状に鑑みれば,外見がヨボヨボの老人になっても,心は今とほとんど変わらないのだろうと推定される.

楽しいがゆえにはしゃぎ過ぎて,なんという失態を演じたことか,と反省したのは青年時代の想い出として懐かしむことはできない.その後も現在に至るまで,何年か経つと気持ちの引き締めが緩み,相変わらず,同様の過ちを繰り返しているのだから.そこそこ長い間生きているから,経験が失敗を回避させてくれることもあり,さもなければ失敗していた状況と対比して,ひとり悦に入ることもあるから,繰り返しの間隔が少しは長くなっていることを期待するが,やはり,失敗をなくすことはできない.達観的に考えれば,完全ではないハラハラがあるからこそ,人生も楽しいものなのだろう.

これまで,少々の,あるいは幾ばくかの,あるいは結構な,あるいは大変な,あるいは甚大なご迷惑をお掛けした方々へ,このような僕も遅々としてはいますが,少しずつは成長していますので,どうかご勘弁下さい(^_^;)

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