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2008年10月

2008年10月28日 (火)

中学校の英語

学習指導要領の改訂で,中学校小学校の数学で円周率(π)が,おおよそ3.14ではなく,おおよそ3でいいことになったとマスメディアが大騒ぎしたのは数年前のことである.

僕自身も鵜のみにしかけたが,数学者の声明を見て,実は改訂前から同じ記述があることを知り,報道の危うさを思った.

さて最近,大学英語教師の話の中で,中学英語での必修単語は100語程度であり,各教科書の判断での追加を含めて900後程度が選ばれていると知った.念のため中学校学習指導要領 第9章 外国語で確認してみると,その「別表1」(→必須語)には100個の語が列挙されている."a", "about", "across", "after", "all", "am", "among", "an", …….中学校の英語でどの単語を学ぶかは,使った教科書に依存するようだ.

大学生の頃,中学2年生の家庭教師の際に,「その単語は絶対に1年生で習っているはずだよ! 教科書を持ってきて調べてみよう.もしもなかったら,この部屋をスキップして1周してもいいよ!」と言ってしまったばっかりに,とても照れくさい思いをして,断定の怖さを知ったが,この学習指導要領を見れば,同じ世代ですら教科書で触れる単語が違うのだから,世代が違えばまったく異なる単語が取り上げられていて,僕のカケは元々分が悪かったのだ(^_^;)

ところで,1960年代生まれの僕の世代では当然だと思い込んでいるものに,中学校英語では筆記体を学ぶというものもある.

これについても,上記の学習指導要領には「文字指導に当たっては,生徒の学習負担に配慮し筆記体を指導することもできる」と書かれていて,現実には筆記体を指導していない中学校が結構あるようだ.

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2008年10月26日 (日)

タッチスクリーンと万年筆の共通点

15年以上も眠らせていた万年筆を,最近また使い始めた.

眠らせていたとはいえ,まったく放置していたわけでもない.数年に一度ふと思い出して,ペン先を水で洗ってみるとか,ぬるま湯に浸けてみる,あるいは,インクカートリッジを付けておもいっきり振ってみたりした.

買った当時は少し使っていたのだが,すぐに飽きてしまい,しまい込んでいたら,インクを充填してもまったく書けなくなっていたのだ.

ぬるま湯に浸けた後に,2〜3cmだけインクが出ることはあったが,またすぐに出なくなった.
※ インクのでないペン先を紙にこすりつける感触はとても厭なものだ(>_<)

最近,再び万年筆を使ってみたくなり,千円くらいの安いものでもいいから買ってみようと万年筆売り場を覗いてみたが,ちょっといい感じのものだと3〜4千円はするので二の足を踏んでいた.

まあ,急を要するものではないから,のんびり構えていた.

ある日,急に,折角ここにある万年筆を無駄にするのがもったいなく思えて,ペン先を交換しようと文具店に持っていったら,ペン先交換の費用は新品の万年筆の購入と大差ないと聞かされた.その瞬間,踏ん切りがついた.インクカートリッジを購入し,家に帰り,荒療治を開始した.

今のままではもう使えないんだから,壊れてもいい覚悟で,ペンチでおもいっきりペン先を引き抜いた.

そこには,それまで足かけ十数年にわたる僕の試みが無駄であったことが如実に表われていた.インクの通り道が,古くなったインクのかたまりで完全に遮られていたのだ.

つまようじや針の先でインクのかたまりを取り,ぬるま湯でよ〜く洗った.

そうしたら,万年筆が元通りにスラスラと書けるようになったのだ.ダメモトの気持ちが強く出過ぎたようで,当初よりもややインクの出がよすぎたが,スラスラ,ス〜ラスラと,泉のペン(fountain pen)の名前の通り,インクが紙に馴染んでゆく.

あれから2か月あまり,僕は万年筆の愛用を続けている.今回のマイブームは当分の間つづきそうだ.

閑話休題.iPhoneのタッチスクリーンと万年筆の双方を常用して2か月あまり,最近,両者の共通点に気づいた.

携帯電話でボタンをカチカチ押して文字を打つのは,ボールペンや鉛筆でカリカリ,コロコロと書くのに似ている.力の込め方が似ているのだ.それに対し,タッチスクリーンで表面をタッチするのは,万年筆で軽〜くサラサラと書くのに似ている.ただし,万年筆のレベルには達していないから,まだ改良の余地はあるが….

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2008年10月25日 (土)

きめ細かに対応した袋

満足は,期待と現実の相対的な関係で決まる.

同じ現実でも,期待が小さかった場合には満足するが,期待が大きすぎた場合には満足に思えない.

大学生の頃に読んだ誰かのエッセイに,プレゼントの鉄則が書かれていた.それは,金額の多少は問題ではなく,その金額なりに価値があるものを選ぶ,というものだった.

たとえ1万円使っても,毛皮のコートでは粗末なものだから止めた方がいい.しかし,スカーフならば,それなりに上等なものが選べるだろう‥‥と‥‥思う.

モノから連想される品質についての,期待と現実の関係を意識した鉄則であろう.

さて,百均ショップ(*註)の大手ダイソーについてだが,僕はサービスへの期待はあまり大きくない.安くてそれなりのモノが手に入れば満足に思っている.それがたとえば東急ハンズなら,サービスへの期待は大きくなる.

(*註)現実には,ほぼ百円均一ショップであるが,上記プレゼントと同じ理由で,百円にこだわらない方針を僕は歓迎している.

どちらも大ざっぱにくくれば雑貨店だから,大小さまざまなモノが扱われている.大小さまざまという意味ではスーパーも同じだが,一品だけの購入者が多いから,包装はスーパーのようにレジ袋の大中小では済まない.

東急ハンズが「大〜中〜小」「長〜短」「厚〜薄」さまざまな包装を用意してくれていることは,当然のように期待してしまうので,ほどほどの満足しか得られない.しかし,長さが60cmほどの細長いモノを買い,ダイソーのレジでそれがピッタリ入る袋に入れてもらうとき,サービスに対する満足度は大きい.

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2008年10月24日 (金)

ドライブシタイ

ケータイで文章を打ち,予想外の候補に戸惑うのは,予測変換にはつきものだ.予想外は悪いことばかりではない.知らなかった漢字や単語を調べることで,語彙力アップにつながるからだ.

ローマ字入力でiPhoneを使っているが,総合評価ではこれまで使ってきた予測変換と変わらないと思う.しかし,あまり気持ちのよくない単語が頻繁に目に入ってくるから,候補呈示順序を変えてもらいたいと思う.「〜したい」と打つと,ほとんどの場合,2番目に「〜死体」が挙がってくるのだ(>_<) 「ドライブシタイ」も例外ではない.

僕がその候補を選択するのは5年,いや10年に一度あるかないかだと思う.こういう僕は特別じゃないと思う.

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2008年10月23日 (木)

夢と世代の関係

僕が愛読しているブログ「Mind Hacks」は,書籍「Mind Hacks―実験で知る脳と心のシステム」(引用文献参照)の著者が主催しているものである.人間,脳,心理に関する興味深い情報が毎日更新されている.

2008年10月20日号に,Monochrome dreaming (モノクロの夢見) という記事が掲載されている(この記事は New Scientist のサイトの記事について書かれている).

それによれば,若い世代はカラーの夢を見る割合が大きそうだ.

夢がカラーかモノクロ(白黒)かは,幼年期に見たテレビの影響を受けているという.英国の大学の調査によれば,25歳未満では,白黒の夢の割合は4.4%であるのに対し,55歳以上(*註)では,およそ四分の一が白黒の夢だそうだ.ただし,この55歳以上の結果は,幼年期に白黒テレビを見ていた人についてのものであって,55歳以上であっても,幼年期にカラーテレビを見ていた場合には,白黒の夢の割合は7.5%であったそうだ.

(*註) 原文では "over 55" と書かれているので,厳密には「55歳より上」であるが,日本語として表現がややこしくなるので,割り切ってこうした.

僕(1960年代生まれ)の世代では,夢は白黒というのが通説であったが,その通説を作ったのは現在少なくとも60歳は超えている人たちであるから,納得できる.

ウィキペディアの「カラーテレビ」によれば,米国でのカラー放送開始は1954年で,日本では1960年だそうだ.

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2008年10月19日 (日)

不条理なけむり

僕は比較的寛容だと自負しているが,不条理には反発を覚える.

酒を飲む仲間がタバコを吸うことは,ほとんど気になったことがない.もちろんそれは,吸わない人間に配慮して灰皿の位置をずらしたり,煙を吐き出す方向を気にしてくれているところにも原因があるが,基本的に自分で吸っているところが理にかなっているからだ.

自分で吸うのは当たり前だと思うかもしれないが,火を点けて煙を出しておきながら,自分ではほとんど吸っていない人がいる.火の点いたタバコを指に挟み,煙を放散しつつ歩いている人である.その煙が本人の口に運ばれることは滅多になく,大半が後ろを歩いている僕の顔にかかって来るのには辟易[へきえき]する.急いでその人物を追い越さなければならない.ちゃんと口に運んでくれさえすれば,不快なほどの煙が僕の顔にかかることはないのだから,何と身勝手なことかと思うのである.

ところで,思い出したことがある.

タバコ嫌いのM氏が,「タバコを吸ってもよろしいでしょうか?」と問われてこう答えたのを聞いたことがある.「はい,よろしいですよ(^_^) ただし吐き出さないでくださいね(-_-)」(顔文字は僕の演出!).

僕にはそのように言う勇気はないが,吐き出さなければ周りに迷惑をかけないのだから,理にかなった返事である!?

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2008年10月18日 (土)

表示の重要性

常設看板だけでは気づかないような店が,通りにせり出した移動式の置き看板のお蔭で目にとまり,予想外に美味しいものを食べられて幸せになることがある.

折り込み広告も,電柱の看板も然り[しかり]である.

気くばりも同様だ.僕はかなり気くばりができると自負しているが,その表示(表現,行動)ではまだまだ改善の余地がある.

思っているだけ,あるいは考えているだけでは気くばりとはいえない.また,行動はしていても,それが相手に伝わらなければ気くばりとして機能しない.

近年は乗降口の上に液晶モニターが付いている電車が増えていて,ニュースや天気予報,星座占い,CMと,さまざまな情報が提供されている.その中に,マナー講座の類もあって,これがとっても勉強になる.

ある時,エレベーターでのマナーについて説明されていて,僕は自分の至らなさを実感した.

エレベーターに先に乗り,状況的にボタン担当になった場合,まだ乗る人がいるときには「開」あるいは <|> マークのボタンを押して皆が乗るのを待つが,それでは不十分だという.

ボタンを押すと同時に,ドアに手をかけて,「は〜い,ドアを開けていますよ〜」と意思表示せよという.もちろん,声には出さなくていい(^_^;

教えられればまったくその通りなのだが,自分では気づかなかった.

これを自然に実践している人に出会うと,さすがだなぁと感心する.もちろん,エレベーターガールはこうしている.

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2008年10月15日 (水)

黒メール

僕にとって,テレビのゴールデンタイムは金曜23時〜27時である.

一週間で最もゆったりとテレビを楽しめる時間帯である.あんまりゆったりしすぎて,気がつくと1時間以上未来にタイムスリップしていることもあるが….

ゴールデンタイムの番組の一つ「爆笑問題の検索ちゃん」は,人間観察を趣味と仕事にしている僕にとって,人間行動や思考の貴重な事例集である.

ある日の放送で,「黒メール」なることばを知った.絵文字のないケータイ・メールをそう呼ぶのだそうだ.うまいネーミングだ.パソコンでは一般に絵文字を使わないから,顔文字のないメールが黒メールに相当するだろう.

先日,知人Fと話していたら,絵文字のないケータイ・メールや,顔文字のないパソコン・メールを受け取ると頭に来るそうだ.Fの表現の極端さを差し引いて考えれば,気持ちは理解できる.普段絵文字を使うパートナーからの黒メールに青ざめる男性心理と対比できるだろう.

つまり,絵文字や顔文字は表情の機能を十分に果たしている.これは感性豊かなコミュニケーションの観点から大変に興味深いことだが,まだWWW(Webブラウジングなど)が存在せず,もちろんインターネットということばもなく,海外とメールのやりとりをしていたのは一部の大学と企業のコンピューターだけで,利用者(大多数は大学人だったと思う)は,電話回線でそれらコンピューターに接続していた時代にメールを使い始めた僕にとっては逆に,無表情がメールの利点のひとつだった.

ビジネスライクに用件を書いてよかったし,そうするのが普通だった.またその頃は,文字通りメールであり,差出人は都合のいい時間に投函し,受取人も都合のいい時間に郵便受けを確認した.現在のように,送信する際に時間や相手の状況を気にする必要もなかった.

もっとも,その時代にも,顔文字の原型でsmileyと呼ばれる :-) など---首を左に90度傾けてみるとスマイルになっている---は使われ始めていたが,1通のメールに1,2回の使用が普通だったから,現在の絵文字文化とは一線を画していると思う.ちなみに,顔文字やsmileyを総称してemoticonと呼ぶそうだ.

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2008年10月11日 (土)

数え上げのための「正」の字

ものを数え上げるとき,「正」の字を一画ずつ書いてゆく方法がよく用いられる.

これを既存のフォントで表現してみた.できることなら日本独自の文字(漢字,ひらがな,カタカナ)のみで表現したい.

「正」の字の書き順で
 1 → 2 → 3 → 4 → 5
を表現するには
 一 → 丁 → 下 → ? → 正
となり,4が表現できない.因みに2に対応するのは丁(てい)にしてみた.

書き順はあきらめて表現すると,
 ノ → ト → 上 → 止 → 正
となる.「ノ」などはちょっと無理はあるが,一応すべて表現できる.日本独自文字にこだわらなければ「ノ」の替わりに「1」を使うと見やすいだろう.

試みに,この方法で6〜9を表わしてみると
 正ノ
 正ト
 正上
 正止
となる.なじみがないことも手伝って,これを数値と対応づけて認識することは難しい.

「正」の字が数え上げのために使われる以前には「玉」の字が用いられていたそうだ.実は,「玉」だと,自然な文字が選べる上に,書き順まで合わせられることに気づいた.つまり,
 一 → 丁 → 干 → 王 → 玉
となる.これで6〜9を表わすと
 玉一
 玉丁
 玉干
 玉王
となり,かなり自然である.「一」が上下の中央に来てしまうことを除けば非の打ち所がない!?

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2008年10月10日 (金)

人にやさしいサービス

JR水戸駅にあるエクセルシオール・カフェで,やさしいサービスを見
た---正確にいえば,聞いた.

「寛容の功罪」ではスターバックス・コーヒーのサービスを紹介したが,
そこで紹介したのと同様のやさしさであった.

「お飲み物のサイズはどうなさいますか?」と問うた店員への応えに一瞬
の戸惑いを見せたらしいご老人(とは言っても老人としては若い範
囲の60代後半)に,店員は補足した.「大・中・小」のどれ
になさいますか?」

紋切り型でなく臨機応変的であるところがいい.

※ おことわり:店員のことばづかいの再現は不正確です.

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2008年10月 8日 (水)

数学の替え歌

直接会って話(打ち合わせ,交渉)をしたいと思っていたU氏に,やっと会えた.

数年前から,数学の替え歌の件で話がしたいと思っていたのだが,いつまでもズルズルとしていては時機を逸してしまうと思い,一念発起してメールを出してみたのが今年の1月だった.それはU氏の勤務先web頁に掲載されていたメールアドレスだったが,宛先不明で戻ってきてしまい,一旦はあきらめた.改めて別のメールアドレスを探し出し,メールしたのが4月であった.

そして待つこと2か月(以上!)……,ついに返事が来た!

しかしその内容は,僕が欲しかった回答ではなく,数学教育学会への参加の誘いであった——U氏らしい反応だと思った(^_^;
※この「数学教育学会」は,「日本数学教育学会」とは無関係のようです.

僕はそれまで,その学会の存在も知らなかったが,U氏に会って話をする絶好の機会だから,即決で参加の返事をした.

論文集の原稿を作成し,当日の発表の準備をすることはそれなりに苦労する作業だったが,その学会には,僕と肌が合う部分があり,飛び込ませてもらったU氏に感謝している.

さて,学会の1週間前にU氏から突然提案され,懇親会の席でU氏が歌う数学の替え歌に僕のギター伴奏を付けるという飛び込み企画も上々の評判であり,今後の数学替え歌普及活動についての方針も確認が取れた.半年以内にはインターネット上で紹介したいと思う.

因みに,懇親会で披露したのは「数学的帰納法の歌」(岸洋子「希望」の替え歌)と,「対数ロック」(作詞 U氏,作曲 僕)であった.どちらも1985年頃に作られたものである.

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2008年10月 7日 (火)

苦情?提案?

苦情と提案は随分と印象の異なることばだが,目的は同じである.

違いは,目的に込める感情の違いである.否定的感情を込めれば苦情になるところを,友好的な感情を込めれば提案になる.

人は苦情には強く反発するが,主張は同じでも提案の形を取れば反発は軽減される.

世間でよく使われることばを用いれば,僕は「クレーマー」だと思う.しかし僕は,クレーム,つまり苦情を申し入れているつもりはない.提案(あるいはお願い,はたまた希望)を伝えているつもりだからだ.

電話,アンケート用紙,メール,さまざまな手段で,製品やサービスに対して少なくとも年に数回は提案をしている.

そのほとんどについて,担当者は丁寧な回答をしてくれる.CS(Customer Satisfaction=顧客満足)が重要視される現代だから当然かもしれないが,誠実な回答はうれしいものだ.

相手の運営方針上,提案が日の目を見るのは絶望的と感じることもあるが,提案が実を結ぶことも少なからずある.「雨垂れ石を穿つ(うがつ)」のたとえよろしく,同じ提案が多数寄せられたのかもしれないし,時代の潮流にマッチした提案だったのかもしれない.

メニューや店そのものは気に入っていたのだが,分煙が徹底していないために足が遠のいていたカフェについて,カフェ・チェーン本部の相談窓口にメールをしたのは約1年前のことだ.先日,久々に前を通ったら,完全分煙したとの案内が出ていた.相談窓口から送られてきたメールを見直し,そこに記された誠意ある回答がその場しのぎでなかったことをうれしく思う.久々に,また通ってみよう.

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2008年10月 5日 (日)

ドラゴン錯視!

Dragon_illusionこの写真は,数年前に卒業した学生の置きみやげである.

購入したものなのか,それともインターネットからダウンロードして工作したものなのか確認せぬまま,漠然と,面白い錯覚現象の素材だから,年に2,3度,興味を持ってくれそうな人に見せていた.

2か月ほど前までは,僕の中での存在の大きさはボチボチであって,極端に大きくはなかった.8月に,研究室の学生たち+αとともに,日立シビックセンター科学館の,夏の特別展「見てビックリ!見らくるワールド!! 光と錯覚のふしぎ」を見に行くまでは….

特別展の中では脇役的存在で,このような形(ダウンロード dragon_illusion.mp4;410.8KB)で展示されていた.
※ 初めての人のために説明しておくと…,ムービーでは,見る位置によってドラゴンの首が回って見えるが,そこには静止した紙細工のドラゴンがあるだけである.

人に説明すると自分の関心も高まるもので,今回もその例にもれず,これまでより深くドラゴンを知ることになった.第一に,それが,僕が大学生の頃に書籍を通して大変にお世話になった,数学者マーティン・ガードナーを囲む会(?)にて披露されたものであるということ.第二に,それは本来は有料で販売しているものなのだが,その中の1つの図柄を,販売元の厚意でここで無償提供されているということを知った(PDFファイルへの直接リンクはこちら).

印刷し,切って貼って,組み立てて,少し離れたところから片目で見れば,不思議な錯覚を体験することができる(上記のムービーでは,カメラが元々片目だから,映像を両目で見ても錯覚が生じている).

ところで,図柄には,"mountain fold" や "valley fold" などの工作の指示が書かれており,それぞれが「山折り」「谷折り」に対応しているのを知ると,より一層,英語に親しみがわいてくるのではないだろうか.

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子守唄で目覚め!?

それなりに年を重ねて落ち着いてきたから,昔ほどではないが,今でも「平均+2σ」(*註)程度の驚き症であると自覚している.


(*註) 統計学になじみのない方には,偏差値70と言う方がイメージがつかみやすいかもしれない.

その驚き方は,前世は暗殺でもされたんじゃないの?と揶揄されるほどだ.

急な物音や予想外の人の存在に驚く.特に,自分では誰もいないと思い込んでいる場所に人がいたりすると,驚きのあまり10〜20センチほど飛び上がってしまうこともある.

学生寮で暮らしていた頃,僕の驚き症を知っている友だちは時折,ものかげに隠れて大きな声で僕を驚かせ,僕の驚く様子を楽しんだりした(当時も今も,僕はそれを愛情表現と捉えています……念のため(^^ゞ).だからといって,これを読んで真似しないようお願いします(^_^; 職場にいると,プライベートと比べて気が張っており,心が冷静側に偏っていますから,楽しめるほどは驚きませんので!

自分でも可笑しいのは,自宅玄関のドアを開けたときに,すぐそこに予想外に家猫がいるのに驚いて5センチほど飛び上がったことである.

さて,このような僕だから,目覚まし時計の音にもこだわりがある.

ジリジリと鳴るベルしかなかった時代にはあきらめていたが,その後電子音目覚ましが登場すると随分といい目覚めができるようになった.電子音には,最初は小さくて徐々に大きくなるステップ設定を好んでいた.

時代は変わり,携帯電話で目覚まし設定ができるようになると,目覚まし音の選択肢が増えた.現在愛用しているのは「子守唄」である.目覚ましに子守唄とは可笑しいかもしれないが,驚きとは正反対の要素でデザインされた曲を目覚ましにすることで,「安らかな目覚め」をむかえられるのだ.ただし,それによって一層眠りが深くなってしまった場合に備えて,その10分後にアラーム音が鳴るように設定していることは,ご推察の通りである!

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2008年10月 4日 (土)

人にやさしいモノ

Inhumane_interface人間とコンピューターをつなぐモノをマン・マシーン・インターフェイスという.あるいは,ヒューマン・マシーン・インターフェイスと言ったり,単にヒューマン・インターフェイスという.(カタカナが多くて読みにくく,人にやさしくない文章になってしまいました(^_^;))

インターフェイス(interface)は境界という意味で,人間とコンピューター(をはじめとするさまざまなモノ)の間に立ち,橋渡しをするモノのことである.

コンピューター関係でいえば,パソコンのマウスやキーボードは,人間の意図をコンピューターに伝える橋渡しをするインターフェイスであり,パソコンのディスプレイは,コンピューターの処理結果を人間に伝えるためのインターフェイスである.

更にいえば,別にコンピューター関係に限らず,人間とモノをつなぐものをヒューマン・インターフェイスという.だから,ドアノブは人間がドアを開け閉めするためのインターフェイスであるし,電灯のスイッチも明かりを点け,消すためのインターフェイスである.

さて,ここでは人にやさしくないモノの例を示して,人にやさしいモノを実現するための教訓の一つとしたいと思う.

左上の写真(実在の暗証番号式ドアロック)をクリックし,できるだけ速く「9→2→6→5→3」と押すイメージをしてもらいたい.恐らく,ほとんどの人が相当に苦労したであろう.

このようなインターフェイスは「人にやさしくない」.人にやさしいインターフェイスのことを,ジェフ・ラスキンヒューメイン・インターフェイス(humane interface)と呼び,自身の著書のタイトルにしている(引用文献を参照).この表現を適用すれば,写真のドアロックはinhumane interfaceということになる.

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人間の成長とは

人間の脳は人間の進化の過程を反映しているという見方がある.

つまり,進化の歴史の古くからあったものは脳の奥深くに埋もれており,新しい部分がそれを包んでいる.実際,脳の解剖学的用語ではそれらを旧皮質,新皮質と呼んでいる.

一般に,本能や感情をつかさどるのは旧皮質であり,理性や知性をつかさどるのが新皮質である.

旧来の脳科学では,感情は知性を味付けするものとしてとらえられてきた.たとえば,必要な内容だけを述べるのでは「人間的でなく」冷たいから,感情で味付けして暖かみを出す,そのようなものであると考えられてきた.なくてもいいが,あった方がいいと考えられてきたと言い換えてもいいだろう.

しかし,近年の脳科学では,まったく逆の見解が広がっている.つまり,結論を出すのは感情であって,知性はその理由付けをするのに活用されるのに過ぎないという考え方である.

こう考えると,人間は成長して大人になったつもりでも,根っこのところでは相変わらず子どもであるというのも,うなずける.

自分が子どもだった頃,あるいは青年だった頃,年上の人たちがすごく大人に見えて,老人たちの心は外見通り老化しているのだろうと思っていた.が,自分も完全に大人,どちらかといえば子どもよりも老人に近い年齢になり,自らを省みると,根幹では子どもの頃,あるいは未熟な青年だった頃とちっとも変わっていないことに気づくことがある.自分の現状に鑑みれば,外見がヨボヨボの老人になっても,心は今とほとんど変わらないのだろうと推定される.

楽しいがゆえにはしゃぎ過ぎて,なんという失態を演じたことか,と反省したのは青年時代の想い出として懐かしむことはできない.その後も現在に至るまで,何年か経つと気持ちの引き締めが緩み,相変わらず,同様の過ちを繰り返しているのだから.そこそこ長い間生きているから,経験が失敗を回避させてくれることもあり,さもなければ失敗していた状況と対比して,ひとり悦に入ることもあるから,繰り返しの間隔が少しは長くなっていることを期待するが,やはり,失敗をなくすことはできない.達観的に考えれば,完全ではないハラハラがあるからこそ,人生も楽しいものなのだろう.

これまで,少々の,あるいは幾ばくかの,あるいは結構な,あるいは大変な,あるいは甚大なご迷惑をお掛けした方々へ,このような僕も遅々としてはいますが,少しずつは成長していますので,どうかご勘弁下さい(^_^;)

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